2月の中旬から続いていた送別会・慰労会が4月17日で一段落しました。
30年近く前に一緒に仕事をした方たちから最後の職場まで、いろいろな方たちにお礼と励ましの言葉を頂きました。いくつかの会では、サプライズ企画が用意されていて、女房の手紙にホロリとさせられたり、また、女房そのものが途中から登場するなどというのもありました。本当にありがとうございました。振り返ってみると仕事の面では結構自分の好きなことを、好きなようにやらせていただき、多くの方に助けられました。私と一緒に仕事したことで、その後の仕事のやり方に役に立った、と言われると、お世辞でもうれしいものです。
最後の職場には、一緒に仕事をする人には恵まれましたが、あまり気持ちのいい終わり方ではなかったのは事実ですが、そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれる会が続きました。自分自身は「嘘をつかない。ぶれない。」をモットーにしてきましたが、それを見てくれている人は必ずいるものです。
今後は、健康第一、趣味第二。いや、忘れてました。「女房第一」でした。
ということで、早速「成田市制55年記念山車祭り」に行ってきましたので、次の投稿ではそれを紹介します。
2009年4月20日月曜日
2009年4月6日月曜日
ネパールの青年
昨年の一月の末にタイ旅行をしました。その帰りの飛行機の中で家内と私の隣の席にインド人と見える青年が座りました。すぐに英語で「日本人ですか?」と話しかけてきて、自分はネパール人で日本のインド料理店で働くために東京に行くということでした。一人旅でとても不安そうな目をしていました。入国カードの記載方法を教えて欲しいということで、その記載を手伝うことになりました。彼は、正式のワークビザを持っていましたので、持参している書類を見ながら何とか書類は完成しました。
成田には彼の友人が迎えにきてくれることになっているそうで、友人の携帯電話の番号を持っていましたので、成田についてパスポートチェックを終えたら私の携帯電話で連絡をしてあげることになりました。しかし、彼のパスポート審査は大変厳しく、別室で30分以上かかってしまいました。私たちもスーツケースの取っ手が壊れていましたので、バゲッジクレームでやはり30分以上の時間がかかりました。その後友人と連絡が取れて、友人が成田空港まで迎えにきてくれることになりましたので、彼とは到着ロビーの出口の待合所で別れました。その時の不安そうな顔が忘れられませんでした。
半年ほど経ったときに彼から私の携帯に電話が入りました。日本語もだいぶ上達して、「元気に働いている。空港に迎えにきてくれた友人はネパールに帰国した」ということでした。豊島区の副都心線の千川駅に近いインド料理店では働いているということです。
その後何度か電話がありましたが、なかなか尋ねていく機会がとれませんでしたが、4月4日に上野で長唄の先生の演奏会があり、その前にたずねて行くことにしました。千川駅につくと彼は駅近くのスーパーの前まで迎えにきてくれました。店は駅から歩いて5分ほどの幹線道路から少し入ったところにありました。店には彼の他に3人のネパール人が働いていました。料理は10種類ほどのカレーがあり、すべてにナンがついてきますが、ナンの味もカレーの味もとても良く、大満足でした。
彼は、あと1年ほど日本で働いてネパールに帰るということでしたが、帰るときには私の家に泊ってから帰ったらどうかと誘うと、「自分と一緒にネパールに行こう」と逆に誘われてしまいました。彼の家は首都のカトマンズから250kmほど離れたところにあり、お釈迦様が生まれたルンピニーから20kmほどのところにあるということです。皆目見当がつきませんが、来年はネパール旅行を本気で検討してみたくなりました。
ネパールの青年とお店で
成田には彼の友人が迎えにきてくれることになっているそうで、友人の携帯電話の番号を持っていましたので、成田についてパスポートチェックを終えたら私の携帯電話で連絡をしてあげることになりました。しかし、彼のパスポート審査は大変厳しく、別室で30分以上かかってしまいました。私たちもスーツケースの取っ手が壊れていましたので、バゲッジクレームでやはり30分以上の時間がかかりました。その後友人と連絡が取れて、友人が成田空港まで迎えにきてくれることになりましたので、彼とは到着ロビーの出口の待合所で別れました。その時の不安そうな顔が忘れられませんでした。
半年ほど経ったときに彼から私の携帯に電話が入りました。日本語もだいぶ上達して、「元気に働いている。空港に迎えにきてくれた友人はネパールに帰国した」ということでした。豊島区の副都心線の千川駅に近いインド料理店では働いているということです。
その後何度か電話がありましたが、なかなか尋ねていく機会がとれませんでしたが、4月4日に上野で長唄の先生の演奏会があり、その前にたずねて行くことにしました。千川駅につくと彼は駅近くのスーパーの前まで迎えにきてくれました。店は駅から歩いて5分ほどの幹線道路から少し入ったところにありました。店には彼の他に3人のネパール人が働いていました。料理は10種類ほどのカレーがあり、すべてにナンがついてきますが、ナンの味もカレーの味もとても良く、大満足でした。
彼は、あと1年ほど日本で働いてネパールに帰るということでしたが、帰るときには私の家に泊ってから帰ったらどうかと誘うと、「自分と一緒にネパールに行こう」と逆に誘われてしまいました。彼の家は首都のカトマンズから250kmほど離れたところにあり、お釈迦様が生まれたルンピニーから20kmほどのところにあるということです。皆目見当がつきませんが、来年はネパール旅行を本気で検討してみたくなりました。
2009年4月1日水曜日
定年退職しました
今日は、朝8時過ぎまで寝ていました。今までだったら、職場に向かう原付バイクの上の時刻ですね。ちょっと飲み過ぎていたので、起きられなかったというのが本当の理由ですが、これが定年を迎えた良さでしょうね。いつ起きたっていいのですから。
昨晩は、長唄のお稽古がありましたので、夜9時過ぎから自宅でささやかなお祝い会をしました。長女とその息子、三味線の先生、唄の先生、それに家内の総勢六人でしたが、大変楽しいひとときを過ごしました。
今日は、早速健康保険を続けるために健康保険料と介護保険料をまとめて銀行に振り込みました。今は、健康保険証がないので病気になれません。ちょっと心配。
昼飯を済ませてから、踊りの会のビデオをDVDに焼く作業に入りました。全部で100枚ほどあるのですが、あと23枚で終了です。退職後の初日は結構忙しいです(笑)。
昨晩は、長唄のお稽古がありましたので、夜9時過ぎから自宅でささやかなお祝い会をしました。長女とその息子、三味線の先生、唄の先生、それに家内の総勢六人でしたが、大変楽しいひとときを過ごしました。
今日は、早速健康保険を続けるために健康保険料と介護保険料をまとめて銀行に振り込みました。今は、健康保険証がないので病気になれません。ちょっと心配。
昼飯を済ませてから、踊りの会のビデオをDVDに焼く作業に入りました。全部で100枚ほどあるのですが、あと23枚で終了です。退職後の初日は結構忙しいです(笑)。
2009年3月29日日曜日
2009年2月23日月曜日
新年会が終わりました。

合同の「松の緑」です。
私は、皆さんが合奏した「松の緑」と「花見踊」の唄をやらせていただきました。
三味線は、囃子メドレー「鞨鼓、四丁目、仁羽」と、昨年9月の発表会で「一過性全健忘」症ののために演奏できなかった「秋の色種」をやらせていただきました。
普段は、唄なしでお稽古していますから、唄が入ると趣が異なります。唄を待たずに弾き始めてしまった箇所もあったりしましたが、「虫の合方」「琴手の合方」も何とか弾き終えることが出来ました。私にとっては約半年ぶりのリベンジの曲だったので、少しいい気分です。
佳櫻会(三味線)・まりも会(唄)合同の新年会が終わりました。
新年会といっても、ミニ発表会を兼ねていますから、結構緊張します。
私は、皆さんが合奏した「松の緑」と「花見踊」の唄をやらせていただきました。
三味線は、囃子メドレー「鞨鼓、四丁目、仁羽」と、昨年9月の発表会で「一過性全健忘」症ののために演奏できなかった「秋の色種」をやらせていただきました。
普段は、唄なしでお稽古していますから、唄が入ると趣が異なります。唄を待たずに弾き始めてしまった箇所もあったりしましたが、「虫の合方」「琴手の合方」も何とか弾き終えることが出来ました。私にとっては約半年ぶりのリベンジの曲だったので、少しいい気分です。
2009年2月9日月曜日
今年は春から病気ネタばかり
今日、眼科に行って検診を受けました。
最近、右目が霞がかかったようになって、左右の視力のバランスが崩れています。
細かい字はほとんど左目で見ているような状況です。従って、細かい字はよく見えなく、すぐに頭が痛くなってきます。当然、本は長い時間読むことは出来ません。
もうすぐ毎日が日曜日になるのに、図書館に通って本も読むことが出来なければ、楽しみはずいぶん少なくなってしまいます。
で、思い切って、右目の白内障の手術を受けることにしました。診察の結果、先生も手術した方がいいという結論でした。
でも、手術は3ヶ月も先です。結構混みあっているんですね。5月なら、いつでも手術をうけられますから、まあ、いいか。
でも、その前に「眼瞼黄色腫」の手術を受けてしまおうかとも考えています。先日の高校の同窓会で、同級生の皮膚科形成外科の先生(東京の大田区蒲田で開業している医学博士)から、手術してあげるよといわれましたから。
最近、右目が霞がかかったようになって、左右の視力のバランスが崩れています。
細かい字はほとんど左目で見ているような状況です。従って、細かい字はよく見えなく、すぐに頭が痛くなってきます。当然、本は長い時間読むことは出来ません。
もうすぐ毎日が日曜日になるのに、図書館に通って本も読むことが出来なければ、楽しみはずいぶん少なくなってしまいます。
で、思い切って、右目の白内障の手術を受けることにしました。診察の結果、先生も手術した方がいいという結論でした。
でも、手術は3ヶ月も先です。結構混みあっているんですね。5月なら、いつでも手術をうけられますから、まあ、いいか。
でも、その前に「眼瞼黄色腫」の手術を受けてしまおうかとも考えています。先日の高校の同窓会で、同級生の皮膚科形成外科の先生(東京の大田区蒲田で開業している医学博士)から、手術してあげるよといわれましたから。
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