2009年4月27日月曜日

看板に偽り?

 邦楽などと名乗っておきながら、病気とパソコンばかりのネタで、些かどころか大分看板と違う内容のブログになってます。
 で、長唄の方ですが、「新曲浦島」の暗譜が終わって、今最後の部分にあるちょっと長目の合方(三味線の独奏で聞かせどころでもあります)のお稽古をしています。眼科に術後検診に行ったり、パソコンを直したりと、勤めのころより忙しく、お稽古の時間が少なくなっています。「新浦」の合方では、今までに経験していない弾き方がいくつかあり、ちょっと苦戦してます。この曲の発表は12月の予定ですから、気長にやっていきます。

 次は、パソコンネタです。先月の9日に光フレッツにして、回線の端末装置が今までのCATVケーブルモデムからルーター機能付きの光回線終端装置(ONU)に替わりました。その影響なのか、女房のノートパソコンの無線LANがインターネットにつながらなくなってしまいました。
 CATVの時は、ケーブルモデム→スイッチングハブ(8ポート)→無線LANブロードバンドルータ(親機)とつないで、ノートパソコンに無線LANカードを差して問題なくネットにつながっていました。
 ところが、ONUにこの無線LANルータをつなぐと有線LANでつながっているパソコンまでネット接続が出来なくなるという現象が出てしまいました。そこでやむを得ず、ノートパソコン用の無線LANルータはONUにつながないでいました。
 原因をインターネットで調べていくと、「二重ルータ」であることが原因らしいとわかりました。ONUもルータ機能があることから、二つのルータが競合してネット接続が出来なくなっているようです。無線LAN親機のルータ機能を停止して、ブリッジ機能だけに変更できれば、問題解決しそうとわかりましたが、私が使ってるPlanex BLW-04GMという機種はこの機能がありません。
 そこで、思い切って無線ルータと無線LANカードのセットを買い換えることにしました。購入したのは設定が簡単そうな BuffaloのWHR-G300N/Pです。
 この機種は、光回線接続用のルータの存在を自動的に検出して、ルータ機能とブリッジ機能を自動的に変更してくれます。また、ノートパソコンの無線LAN設定もAOSSというボタンを一つ押せば1分ほどで自動設定してくれます。今までは、無線LANの設定で頭を悩ませていたのが嘘のように簡単です。
 LANとインターネット接続の仕組みがよくわかっていないから、無線LANの設定が難しく感じるのでしょうが、一度設定してしまえば、トラブルがない限り普通は必要がない知識ですから、特に難しいことなく求める機能が得られれば、それに越したことはありません。少しずつではありますが、パソコンとその関連製品も「家電」に近づいているようで、これはいいことだと思います。

2009年4月23日木曜日

視界良好

 昨日、白内障の手術が無事終わりました。
手術時間は20分ほどでしたが、局所麻酔から含めると35分くらいかかりました。手術中は眼球が押されるくらいの感じで痛みはありません(むしろ麻酔薬の点眼の方がしみます)が、手術中に右目に当てられる強い光(白く見えたり、ピンクに見えたり)をじっと見つめて、瞬きをしないようにする方がよっぽどつらかったです。両目をあいていないと視線が上に行ってしまうようです。先生に「危ないから瞳を動かさないように」と言われても、自然に動いてしまうんですよ。
 手術後、上目蓋に軟膏を入れられて、絆創膏を貼られ、さらに上から大きなキャップをかぶせて、さらに絆創膏を貼られます。まるで「お岩さん」のようになります。自分で鏡を見てもちょっと不気味。暗いところで出くわしたら、女性なら悲鳴が上がりますね。
 
 今日は、検眼と眼帯を外してもらうために午前9時に眼科医院に出かけました。眼帯を外して、めをぬぐってもらい、ゆっくりと目を開けると、「おーっ。くっきり、はっきり」。物の色、形がクリアーになりました。そうなると気になるのは左目です。先生からは、「左もいずれは手術が必要になるでしょう」と言われています。今日の見え方は、左目はややクリーム色がかって見え、右目は左に比べると青みがかって見えます。蛍光灯の昼光色と白光色の違いと言えばわかりやすいでしょうか。左目も、少しずつ白内障が進んでいるようです。
 
 術後は、透明の眼帯を貸してくれます。昼間は3日間、夜寝るときは6日間、この眼帯をする必要があるそうです。もっとも、昼間、眼鏡をかけていれば眼帯は不要とのことで、今はいつもの眼鏡をかけて、このブログを打ってます。
 また、点眼薬が4種類も出て、3種類が今日の午後3時までは1時間おき、その後は2時間おき、さらに1種類が一日4回ずつ点眼する必要があります。忘れてしまうので、胸のポケットにクッキング用のタイマーを入れて、ピピピと知らせてもらってます(笑)。

 これで、当分は本もディスプレイも支障なく見ることが出来そうです。特に、運転の時に安心感があります。あー、よかった。
 

2009年4月22日水曜日

白内障の手術

 成田の山車祭りは本家の唐丸さんの見聞録に写真付きで紹介されていますので、割愛します。

 今日は午後2時から右目の白内障の手術です。予定では5月19日でしたが、キャンセルが出て早まりました。左右の視力というか目の見え方が違うと結構鬱陶しいものです。右目は、全体にもやがかかっているように見えます。湯気が立っている大きなお風呂に入っているような感じですかね。勿論、細かい字などは見えませんし、景色も木の形、家の形や色はわかるものの、花と葉の区別、窓と窓枠の区別などが出来ません。これが、今日の手術でクリアなレンズに替わるとどうなるか、楽しみです。
 手術は、20分くらいで終わってしまうようですが、明日から3日間は術後の検診が続きます。今日、明日は付き添いが必要と言うことで、女房に送り迎えも頼みました。

 今、術前の散瞳薬を点眼しました。30分おきに点眼します。では、手術に行ってきます。

2009年4月20日月曜日

送別会・慰労会やっと終わりました

 2月の中旬から続いていた送別会・慰労会が4月17日で一段落しました。
30年近く前に一緒に仕事をした方たちから最後の職場まで、いろいろな方たちにお礼と励ましの言葉を頂きました。いくつかの会では、サプライズ企画が用意されていて、女房の手紙にホロリとさせられたり、また、女房そのものが途中から登場するなどというのもありました。本当にありがとうございました。振り返ってみると仕事の面では結構自分の好きなことを、好きなようにやらせていただき、多くの方に助けられました。私と一緒に仕事したことで、その後の仕事のやり方に役に立った、と言われると、お世辞でもうれしいものです。
 最後の職場には、一緒に仕事をする人には恵まれましたが、あまり気持ちのいい終わり方ではなかったのは事実ですが、そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれる会が続きました。自分自身は「嘘をつかない。ぶれない。」をモットーにしてきましたが、それを見てくれている人は必ずいるものです。
 今後は、健康第一、趣味第二。いや、忘れてました。「女房第一」でした。
ということで、早速「成田市制55年記念山車祭り」に行ってきましたので、次の投稿ではそれを紹介します。

2009年4月6日月曜日

ネパールの青年

 昨年の一月の末にタイ旅行をしました。その帰りの飛行機の中で家内と私の隣の席にインド人と見える青年が座りました。すぐに英語で「日本人ですか?」と話しかけてきて、自分はネパール人で日本のインド料理店で働くために東京に行くということでした。一人旅でとても不安そうな目をしていました。入国カードの記載方法を教えて欲しいということで、その記載を手伝うことになりました。彼は、正式のワークビザを持っていましたので、持参している書類を見ながら何とか書類は完成しました。

 成田には彼の友人が迎えにきてくれることになっているそうで、友人の携帯電話の番号を持っていましたので、成田についてパスポートチェックを終えたら私の携帯電話で連絡をしてあげることになりました。しかし、彼のパスポート審査は大変厳しく、別室で30分以上かかってしまいました。私たちもスーツケースの取っ手が壊れていましたので、バゲッジクレームでやはり30分以上の時間がかかりました。その後友人と連絡が取れて、友人が成田空港まで迎えにきてくれることになりましたので、彼とは到着ロビーの出口の待合所で別れました。その時の不安そうな顔が忘れられませんでした。

 半年ほど経ったときに彼から私の携帯に電話が入りました。日本語もだいぶ上達して、「元気に働いている。空港に迎えにきてくれた友人はネパールに帰国した」ということでした。豊島区の副都心線の千川駅に近いインド料理店では働いているということです。

 その後何度か電話がありましたが、なかなか尋ねていく機会がとれませんでしたが、4月4日に上野で長唄の先生の演奏会があり、その前にたずねて行くことにしました。千川駅につくと彼は駅近くのスーパーの前まで迎えにきてくれました。店は駅から歩いて5分ほどの幹線道路から少し入ったところにありました。店には彼の他に3人のネパール人が働いていました。料理は10種類ほどのカレーがあり、すべてにナンがついてきますが、ナンの味もカレーの味もとても良く、大満足でした。

 彼は、あと1年ほど日本で働いてネパールに帰るということでしたが、帰るときには私の家に泊ってから帰ったらどうかと誘うと、「自分と一緒にネパールに行こう」と逆に誘われてしまいました。彼の家は首都のカトマンズから250kmほど離れたところにあり、お釈迦様が生まれたルンピニーから20kmほどのところにあるということです。皆目見当がつきませんが、来年はネパール旅行を本気で検討してみたくなりました。

               ネパールの青年とお店で

2009年4月1日水曜日

定年退職しました

今日は、朝8時過ぎまで寝ていました。今までだったら、職場に向かう原付バイクの上の時刻ですね。ちょっと飲み過ぎていたので、起きられなかったというのが本当の理由ですが、これが定年を迎えた良さでしょうね。いつ起きたっていいのですから。
昨晩は、長唄のお稽古がありましたので、夜9時過ぎから自宅でささやかなお祝い会をしました。長女とその息子、三味線の先生、唄の先生、それに家内の総勢六人でしたが、大変楽しいひとときを過ごしました。
今日は、早速健康保険を続けるために健康保険料と介護保険料をまとめて銀行に振り込みました。今は、健康保険証がないので病気になれません。ちょっと心配。
昼飯を済ませてから、踊りの会のビデオをDVDに焼く作業に入りました。全部で100枚ほどあるのですが、あと23枚で終了です。退職後の初日は結構忙しいです(笑)。