2008年9月25日木曜日

次は「白内障」です

 何か病気のオンパレードになってきました。
 昨日は、休暇を頂いて、日医北総病院で「脳シンチレーション」の検査を受けてきました。
 この検査は、静脈にRI(ラジオアイソトープ)を注射して、これが脳の毛細血管にどう流れていくかを撮影する検査のようです。検査そのものは約1時間ほどで終わります。特に、痛みも、MRIのような〝うるささ〟もありません。結果は、来週わかります。

 脳シンチの検査が午前中で終わりましたから、午後からは目の検査に四街道駅ビルの中にある眼科医院に出かけました。というのも、最近右目の〝かすみ〟がひどくなっているように感じていたからです。おそらく加齢による白内障ではないかと見当をつけて、検査をしてもらいました。
 結果は、ピンポーンです。まさしく「白内障」。今すぐに手術が必要なほどではありませんが、今より見づらくなったら手術するしかないようです。白内障の進行を遅らせる点眼薬をもらって、2~3ヶ月に一度検査を受けるようにいわれました。
 この年になると、病気とうまくつきあうことが必要になるようです。めげずに、がんばることにします。

2008年9月22日月曜日

また、また突然ですが「一過性全健忘」という病気

 昨日9月21日は、私たちが長唄をお稽古している「佳櫻会(三味線)」「まりも会(唄)」の合同発表会でした。
 私も、欲張って5番も出番を作っていただいたのですが、会が始まるころから記憶がまばらになってしまいました。
 それでも、合方(靫猿・清掻き・多摩川)、唄(越後獅子)、あたりまでは、まあ、〝普通〟に見えるような形で、演奏したり唄ったりしていたようですが、江戸囃子とのコラボレーション(鞨鼓、四丁目、仁羽)あたりになると、明らかに様子がおかしくなったようです。(実は、ビデオの画像があり、先ほどまでそれをパソコンにとりこんていまして、その再生映像を見てそう思ったのですが) 特に、仁羽あたりになると勘所の押さえが他の人と合わなくなり、決められた回数を終わっても、終わりの合図が出せずに、隣のFさんに合図を出してもらうような状況になっていました。
 控え室では、お囃子仲間のAさんが、私の様子がおかしいのに気がついて、妻を呼びに行き、妻が私に「次は、チンチリレンだけど、できるの?」と尋ねると、さすがに自分でもおかしいと思ったのか「どこから入っていいかわからない。調子も合わせられない。Aさん調子はなんだっけ?」と聞いていたようです。
 それから後も、「プログラムはどこまで進んだ?」「つぎは、俺は何をやるんだ」を、少しの間をおいて延々と聞き続けたようです。さすがに、他の人もおかしいということに気づいて、救急車を呼ぼうということになったそうです。 救急車の中でも、やはり演奏会のことをしきりに聞いてばかりいたようです。
 日医大北総病院について、CT、MRIの検査を受けたようですが(これも全く記憶に残っていません)、特に異常は見あたらず、翌日内科の検診を受けるということになったために、妻が入院をお願いし、入院することになりました。
 夜9時頃になると、だいぶ記憶も戻るようになり、〝会話〟が成立するようになったようです。夜、親友のJご夫妻が駆けつけてくれたことは、勿論おぼえていますよ。
 自分でも、21日の午前11時頃から、記憶が〝まだら〟になり始め、会場についていすを並べたり、めくりを準備したりしたことは憶えているのですが、出演者のMさんに着物と袴を着せてあげたこと、自分も着物と袴を着けたことなどは全く記憶がありません。
 演奏も靫猿・清掻き・多摩川の合方と越後獅子の歌は、これも覚えていません。かろうじて、鞨鼓・四丁目・仁羽の演奏をしていること、左後ろでT君が太鼓をたたいてくれていたことを憶えている程度です。

 一晩寝て起きると、妻との会話もだいぶまともになってきました。妻が言うには、記憶障害が一番ひどいときは、前のブログに書いた「次女の出産」もわからなかったようです。また、2年前に父親が亡くなったことも忘れていたということです。

 今は午後9時ですが、昨日のことをかなり思い出すことが出来ます。でも、演奏のことはどうしても思い出せません。幸い、すべてビデオに記録されているので、つらいですが、それを見て「思い出す」ことにします。
 そして、今回弾くことになっていて出来なかった「秋の色種」に、次回は必ず挑戦することにします。