2011年12月25日日曜日

長唄の発表会


クリスマスイブ長唄発表会でした。
今回は、囃子付き(小鼓、大鼓、太鼓、笛)です。
会場は、佐倉ミレニアムセンターのホールが抽選で確保できたので、地の利が良く出演者もお客さんも楽でした。そして打ち上げ会も京成佐倉駅近く。
私は、三味線は『神田祭』、現代曲で三絃二重奏『呼応』、唄は『まかしょ』をさせていただきました。
自分ではゆっくり演奏していたつもりですが、家内の批評では、「早すぎる」でした。やはり緞帳が上がって、ライトが当たるとアドレナリンが多く出てしまうのですかね(笑)。それとも性格がせっかちだから?
ともかくもこれでやっと年越しと新年の準備に入れます。
それにしても、発表が終わった後のお酒のおいしいこと。ことによったらこの解放感とお酒の楽しみでお稽古しているのかもね。

2011年12月1日木曜日

ソウルから帰ってきました

今回のソウル旅行は天候に恵まれず、ほとんど雨か曇り。帰りだけ晴れ。
女房は「私は晴れ女」なんて曰わっていましたが、帰りだけ。でも、予定はほとんどすべてこなしてきました。食べること、買い物、ちょっと秘密のこと……。
 1年に3回もソウルに行けば、やはり飽きますね。いつもは、ネットで調べて評判のいい店に行くのですけれど、それで当たりは半分もありません。やはり自分の足で確かめなくては、お気に入りの店はできません。その意味では今回は参鶏湯のおいしい店を自分たちで見つけました。味付けがとても優しくて、家内もすっかりお気に入りでした。キムチの味も優しいのです。そんなキムチの味の違いが少しわかりかけてきています。
 また3月くらいしたら行ってみたいと思っています。
 懲りないね……。

2011年10月3日月曜日

体調不良

 季節が一気に冬に向かっているような気候になっています。
 気候の急激な変化は年寄りにはこたえます。実は、9月17日から20日までひどい下痢に悩まされました。市販の下痢止めでは全く効かず、20日(火曜日)になってようやく受診できた掛かりつけの医院で出してもらった薬を飲んでようやく下痢が治まりました。
 この間、ほとんど食べられずに、下痢が続くわけですから、体重が4日間で4キロ近くも落ちました。不健康な状態ですが一気にBMIが理想の数値なりました(笑)。
 体調が元に戻ってからは、1週間もかからずに69キロ台に戻ってしまいましたが、今回の体調不良の原因がよくわ分からないだけに少し不安です。これからは、季節の変わり目には特に体調管理に気をつける必要がありそうです。
 

2011年9月6日火曜日

ソウル(その5)

 4日目(8月25日)は最終日です。家内が食欲不振(キムチの食べ過ぎらしい)で、10時ころゆっくりとホテルを出ました。計画では広蔵市場のスニネヒンデトッという店に行ってビンデトッ(緑豆を生地に使った緑豆チヂミ)を食べる予定でしたが、この店の支店が明洞に出来て評判がいいとのことで、こちらに出かけました。店が11時からなので、近くをぶらついて時間をつぶしました。待った甲斐があって、ヒンデトッは確かにおいしかった。2人前で14,000ウォンと値段も結構いいですね。
 食事の後は、歩いて南大門市場へ。いつもの下着屋で叔父さんと交渉して私の下着(パンツ)を8枚20,000ウォンで買いました。叔父さんは3枚10,000ウォンといいましたが、何とか粘って8枚買うからとまけてもらいました。私にしては珍しく値切り交渉成功です。あとは、短い靴下を15足14,000ウォンで買い、最後の遅い昼食に向かいました。
 昼食は、地下鉄3号線の景福宮駅から歩いて5分ほどのトソクチョン(土俗村)というサムゲタンで有名な店です。午後2時過ぎというに結構広い店内が半分くらい埋まっています。しかも、全員がサムゲタンを注文しています。私たちも15,000ウォンのサムゲタンを2人前注文しました。評判どおり味と量でした。塩とキムチの汁で味を調えていただきました。地元の人は胡椒やコチュジャンで味付けしていました。家内は食欲があまりないらしく、スローペースで食べていましたが、さすがに実力があり、最後は完食していました。私の方がご飯を残してしまいました。
 ホテルのピックアップは午後5時10分ですから、早めにホテルに帰ってロビーで休憩することにしました。旅行社の担当者は時間どおりに迎えに来ました。4組8人ほどで金浦空港近くの日本人専門のお土産店へ連れて行かれました。我々のパスの人たちは慣れている人が多いらしく、何も買いません。また40分ほどバスに揺られて午後7時前には仁川空港に着きました。すぐに搭乗手続きをして、荷物を預けて出発までロビーでゆっくりしました。日本を発ったときのスーツケースの重量は28キロほどでした。仁川空港のチェックインでは38.5キロでした。もう3キロぐらいはいけましたね。最近は日本でもおいしいキムチが買えるので、ソウルで買って帰ることはほとんどありません。
 帰りは大韓航空719便、午後9時10分発です。冷麺でも食べようと思いましたが、どうせ機内食もでることですから、ここは少し我慢して、早めにセキュリティチェックを受けて、搭乗口の近くで休憩しました。午後8時になっても我々が乗る飛行機はまだ到着していません。5分ほどしてようやくゲートに姿を現しました。B737のこじんまりとした機体です。何もすることがないので、荷物の積み降ろしやその他の出発準備作業をじっくりと観察していました。機体が小さいので、乗客の荷物はコンテナではなく、機体にベルトコンベアを横付けして、地上のコンテナに一つずつ送られて積みまれています。到着して30分以上経つのにまだスーツケース積み出しが終わっていません。これでは乗客はターンテーブルで待たさせるわけです。羽田でもきっと1時間近くかかるのだろうなと思いました。
 仁川空港の出発は定刻を10分ほど遅れました。 少し揺れたもののおおむね快適なフライトでした。羽田へは11時40分過ぎに着き、手荷物を受け取って、通関手続きをして、駐車場会社に電話したのが午前1時ころになっていました。バスの迎えまで約15分、空港から駐車場まで約10分、川崎の駐車場を出発したのは午前1時30分、自宅まで約1時間で、帰宅は午前2時半になっていました。
 早朝便・最終便のツアーは、ソウルの滞在時間がたっぷりとれていいのですが、やはり疲れます。次回は、当たり前の時刻に出発、帰国するツアーにしようということになりました。

2011年9月5日月曜日

ソウル(その4)

3日目(8月24日)は、朝食抜きで午前10時ころホテルを出ました。早昼をかねてコングクス(豆乳麺)の有名店へ行きました。場所は地下鉄で明洞から一駅の市庁(シチョン)駅で、駅から歩いて2分ほどのところにあるチンジュフェガン(晋州会館)という店です。開店は10時30分からですが、15分前なのにおばさん(アジュンマ)に聞いたら、「どうぞ」と親切に入れてくれました。店は結構広くて100席以上はあるでしょうか。ネットの情報では昼休みは近くのサラリーマンで一杯になるらしいです。私はコングクス9,500ウォン、家内は豆乳が苦手なので金剛山鍋6,500ウォンを頼みました。コングクスには1リットル以上のこってりとした冷たい豆乳と麺が入って、薄い味がついています。いい味で、豆乳を全部飲んでしまいました。家内は、ちょっと味見した程度です。ここのキムチはすごくおいしくておかわりをしてしまいました。夏場のキムチは酸っぱいのが多いのですが、全然酸っぱさが感じられず、家内もかなりの量を食べていました。
食事が済んで、南大門市場へ歩いて向かいました。 途中で火災で焼けてしまい復元工事中の南大門(正式には崇礼門というのだそうです)の前を通りました。工事は土台の石垣工事が終わったところあたりでした。
南大門市場では、家内がいつものお店で下着を買いました。また、我が家で愛用している韓国の食堂で定番のティッシュのケースを探しました。食堂では、結構いろいろなカラーやデザインのケースがあるのに、市場では茶色の地味なものしか売っていません。5~6軒の店を探し回りましたが、やはり茶色系のものしかありませんでした。しかたなく竹製のティッシュボックスを6,000ウォンで買いました。食堂に置いてあるのは特注で一般には売っていないようです。
つぎは、ロッテマートへ行くために地下鉄でソウル駅に向かいました。ロッテリアでお茶休憩をして、チャンジャ、エゴマのキムチ、ノリ、ハサミなど、お土産を買い込みました。少し多めの荷物を抱えて地下鉄で2駅ほどのホテルに戻りました。すっかりくたびれてしまってホテルで休憩です。昼間から冷房が入っていて、ラッキーでした。
夜は、DrumCatという女性だけのパーカッショングループの公演を見に行く予定になっていましした。ショーは午後8時から始まりますので、食事の時間をみて6時ころホテルを出発しました。予定では、軽めの夕食をとって、ショーを見た後にたっぷりということでしたが、家内が食欲がないということで、劇場近くで何か食べようということになり、とりあえず乙支路3街まで地下鉄で出かけました。いろいろ店を探したのですが、なかなか決まらずに、結局は劇場の筋向かいにあるオモリチプッというスントゥブの店に入りました。私は、スントゥブチゲ6,500ウォン、家内はジャージャー麺5,000ウォン、生マッコリ3,500ウォンと軽めの夕食でした。
DrumCatのショーは、ルックスもスタイルも抜群で、力強いステージでした。出演者は6人とカタログよりは少なめでしたが、飽きさせない80分でした。観客はタイ人、中国人、韓国人がほとんどで日本人はほとんどいません。
ショーを見終わってまた地下鉄でホテルのある明洞に帰りました。明洞駅ではいつもと違う出口から出て、セブンイレブンに寄りました。そこで偶然にも、職場の知り合いに会うというハプニングがありました。出かける前にその方と話をしていてスケジュールが8月24日、25日が重なることは知っていました。また、ホテルが私たちニューオリエンタルと近いパシフィックホテルということも聞いていました。でも、夜の10時過ぎにばったりとコンビニでお会いするというのは全くの偶然です。お互いにびっくりして、記念写真を撮りました。
さらに、コンピにから私たちの泊まっているニューオリエンタルに行く途中で、道に迷っている親子連れを見かけ、そぶりからおそらく日本人であろうと見当を付け、こちらから日本語で声をかけると、先ほどの友人の一行でした。近くに買い物で出て道に迷ってしまったとのことでしたので、ホテルの近くまで案内してあげました。
明日は、いよいよ最終日ですが、続きは、その5で。

2011年9月4日日曜日

ソウル(その3)

 2日目は、ソウルから電車で1時間ほどの仁川広域市です。仁川国際空港は、仁川市の向い側の島にあります。ネットで調べると人口は271万人とありますから、日本でいえば大阪市ととほぼ同じ規模ですね。ソウルからは、地下鉄を乗り継いで70分ほど、11時少し前に仁川駅に到着しました。
 駅前の観光案内所を訪ねると日本語のとても上手な女性が応対してくれました。12時の船に乗るつもりでいたましたが、電話で確認してもらったところ、午後2時にならないと出港しないとのことなので、それまでは食事と周辺観光をすることにしました。仁川には韓国最大の中華街があるとのことで、昼食は名物のジャージャー麺を食べることにしました。駅前から坂を上っていくと5分ほどで中華街に到着します。規模は横浜の中華街には比べるべくもありませんが、結構沢山の中華料理店が軒を連ねています。下調べした中から「共和春」という店に入りました。ジャージャー麺10,000ウォン、海鮮チャーハン7,000ウォンでした。ジャージャー麺は日本のものとはイメージが異なり、黒いスープの中に角切りの肉や野菜が入ったスープと麺が別に出てきて、これを器で混ぜて食べます。量が結構多くて、私ももてあましてしまいました。海鮮チャーハンは、ごくありふれたチャーハンでした。
 食事を済ませて、また坂道と階段を上って韓国初の西洋式公園や韓米修好モニュメント、マッカーサー像などを見ながら散策しました。結構坂道が多くて年寄りにはこたえます。一度仁川駅まで戻ってからタクシーで月尾島(ウォルミド)へ。午後2時の遊覧船の出航まで喫茶店で一休み。パッピンス(かき氷)7,000ウォン、アイスコーヒー5,000ウォン。
 遊覧船は一人15,000ウォン、およそ80分で港を一周します。結構大きな船で300人ほどが乗船していたでしょうか。船は3階構造で、それぞれにステージがついています。特に1階のステージはパイプ椅子が200席ほど置いてあり、すでに50人ほどが腰掛けて、舞台ではおじさんがDJのようなことをしています。もちろん韓国語ですから何を言っているのかはわかりません。でも、アップテンポの曲で司会者が手招きすると、おじさんやおばさんがステージ前のフロアに出てきて、腰を振り振り激しく踊り始めました。ほとんどは昔流行ったツイストのような踊りですが。大音量で私は頭が痛くなって、会場から出てしまいました。
 このステージでは、ロシア人によるダンスショーやアクロバットが行われるのですが、そのショーが30分ほどで終わると、出演者と一緒におじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんが景色そっちのけでずっーと踊り続けていました。1時間ずーっとです。このパワーでは、日本人は完全に負けています。私など大音量のために5分も会場にいることは出来ません。私はロシア人のショーも2階の静かなフロアでテレビで見ていました。家内はそれでも30分ほどは見ていたでしょうか。さすがに踊りはしなかったようですが。ショーが終わると、出演者が代わる代わる中央に出てきて踊ります。その周りでは、韓国の人たちがパワフルに腰を振っています。いやはや、何ともすごいパワーです。
 船を降りるとすぐにタクシーで仁川駅へ向かいました。また地下鉄1号線でソウルへ戻ります。途中で乗り換えて2日目の夕食は、新村(シンチョン)のチョンノサンフェという焼き肉屋です。新村は、延世大学などいくつかの大学が集まっているために、圧倒的に若者が多い町です。焼肉盛り合せ20,900ウォン、ビールとマッコリで7,000ウォン。日本人観光客が私たちの前に1組いましたが、後は全部地元の若い人たちです。彼らはサムギョサル(三枚肉)を食べていることが多かったようです。
 夕食後は、駅前にあるEマートというスーパーで買い物です。ここではお土産用にコチュジャンやサムジャンを買い込みました。
(また長くなりましたので、続きはその4で)
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2011年8月30日火曜日

ソウル(その2)

 ちょっと設備が古いのは我慢できても、エアコンがこちらの都合で入れられないというのは初めての経験です。1日目の夜は9時ころホテルに帰ったら、部屋は涼しくなっていました。2日目は午後9時半ころ帰ったのに部屋に入るとモアーッとしています。すぐにフロントに電話したら「エアコンは10時からです」というつれない返事。シャワーも10時までお預けです。
 まあ、そんなことでホテルの施設、設備面では不平たらたら。フロント脇にインターネットはあるけれど、印刷は出来ず、部屋にもインターネットのLANはもちろんありません。せっかくネットブックを持って行っても何にもなりませんでした。
 3日目に「Drum Cat」という女性だけのパーカッショングループの公演を見に行く予定で、日本でネット予約しました。料金の振り込みが土曜日となってしまい、銀行の営業日の関係で入金が有効になるのは22日の月曜日。バウチャーは入金確認後にメールで送られて来るので、それを印刷して劇場の受付に提示する必要があります。22日の家の出発は午前2時50分!! 当然メールは来ていませんから印刷できません。どうしてもソウルで印刷をする必要がありました。そのため明洞のPC房(バン)で、日本語が表示できることを確認してインターネットに接続、gmailを表示して無事バウチャーを印刷することが出来ました。

 というけわけで、出発前からいろいろとありましたが、今回のソウル旅行では今まで行ったことのある食べ物屋には行かないで、新規に開拓することを基本に計画を立てました。また、一日はソウル近郊に出かけようということで、仁川広域市に行くことにしました。
 まず、明洞のハナ銀行で両替です。コネストというソウル観光案内サイトに両替クーポンというのがありまして、この銀行が対象となっていました。レートは10,000円が139,700ウォンほどで、結果的には町中の両替所とほとんど変わらないレートでした。
 1日目の昼は、家内のたっての希望で忠武路にある「プサンボッチッ」というフグチゲを食べに行きました。この店だけは例外で、以前に行ってとてもおいしかった店です。
 午後1時ころの入店でしたが、店はほぼ満席で、月曜の昼間から河豚ちりをつついて、ソジュ(焼酎)を飲みながらアジョシ(おじさん)たちが大声で話をしています。私たちが注文したフグチゲは、フグがたっぷりと入った真っ赤な鍋で、フグの皮のキムチ和えもつまみに出て、これもおいしくいただきました。鍋が終わると、これにご飯を入れて焼きめしにしてくれます。これもフグの出汁がきいていて本当にうまかった。マッコリも飲んでも会計は34,000ウォン(2,500円ほど)、本当に安いです。
 満腹になったところで、タクシーで新羅免税店へ。新羅免税店は、タクシー代に応じて5,000ウォンから10,000ウォンの商品券をくれますので、ここに行くときはいつもタクシーを利用します。タクシーの運転手さんに「シルラメンソジョムカジ プタカムニダ」(新羅免税店までお願いします)と伝えると、ちゃんと通じました。免税店では、お土産や家内の友人から頼まれたBBクリームなどをかなり沢山買いました。荷物が多くなったので、タクシーで明洞のホテルに帰りました。
 夕食は、梨泰院のジゴルパッサンという郷土料理店です。韓定食が1人前7,000ウォンと言う安さです。おかずの数は20種類ほど、ほとんどが野菜の煮物や和え物という健康食です。マッコリと合わせて17,000ウォン(1,300円)で二人分の夕食が済んでしまいました。帰りはホテルまで5,000ウォンほどでした。
 (長くなりましたので、続きはその3で)

2011年8月29日月曜日

ソウルに行ってきました

 先週8月22日から25日まで3泊4日でソウルに行ってきました。
 今回は成田発の予約が取れなかったので羽田発でした。出発は午前6時10分、帰りの到着は午後11時30分というもので、考えようによってはあちらでの滞在時間が長くとれる「うれしい」パッケージツアーです。
 22日に家を出発したのが午前2時50分、約50分で24時間営業の駐車場に着きました。途中雨が激しく降る場面もあり、運転はしにくかった。駐車場からマイクロバスで羽田まで送られて4時20分ころには、団体カウンターでチェックインできました。あとは、成田と同じようにカード会社の運営するラウンジで出発まで休憩です。成田はビールがただで1本飲めますが、こちらは有料。まあ朝も早いことですから、ここはコーヒーで我慢しました。
 ソウル・仁川空港へは大韓航空720便で定刻の6時30分に出発、1時間ほどで食事が出ました。ビールを飲んだらすぐにいい気持ちになってしまいました。
 仁川からソウルへは迎えのワゴン車で1時間ほど、同じツアーでは3組6人が一緒でした。ホテルの都合で1組だけ先にチェックインし、お決まりの免税店へ。今回は「東和免税店」でした。免税店で40分ほど待たされて、後の2組がホテルにチェックインとなりましたが、私たちは結局最後で、ほとんど正午になっていました。
 今回のホテルは、ツアー会社のオーバーブッキングで直前にホテルが変更になりました。一人3000円ほど返金になりましたので、少し嫌な予感がしていました。悪い予感はあたるものです。チェックインが終わって部屋に荷物を置きに入ったところ、部屋の窓が開いています。エアコンのスイッチを入れても動きません。フロントに「エアコンのスイッチが入らないのですけど」と電話すると、ガーン!! 「ただいまの時間は、冷房が入らない時間です」というつれない返事。そんなの聞いてないよ。
 長くなりましたので、続きは‥‥。

2011年8月6日土曜日

もう8月になってしまいました

友人の大動脈瘤手術も無事に終わり、7月下旬には快気祝いの食事会もできました。
彼の母上が米寿を迎え、その御祝いも兼ねてささやかではありましたが楽しい宴でした。
彼とのつきあいは、中学校に入ったときからですからもう50年になります。
もうそんなに経ってしまったのか、その実感はありませんが、思えば長いつきあいです。
手術の後遺症で声がかすれて、左手の薬指、小指がしびれているとのことですが、それ以外は至って元気で、とても10時間を超える大手術を受けた人のようには見えません。
私は、幸いにして今まで大きな手術を受けた経験はありませんが、この後そんな状況になったときには、現在の医学を信じて、身を任せようと思います。

2011年6月6日月曜日

友人が大動脈瘤の手術

 小学校時代からの親しい友人に、心臓の大動脈瘤が見つかりました。
 手術を受けないといつ爆発してもおかしくないということで、先月の24日に13時間に及ぶ大手術を受けました。

 術後2週間経った昨日、見舞いに行ってきました。すこぶる元気そうでした。手術の後遺症で声がしわがれているということを除いては。傷を見せてもらいましたが、首の下からYの字にお臍の上までの傷口がありました。担当の先生曰く、「美しい」傷だそうです。未だに痛み止めを一日2回飲んでいるとのことですが、思っていたほど痛くなかったとのことです。
 最近の医学の進歩は本当にめざましいと思います。明日には検査を受けて順調であれば、来週早々にも退院できる見込みだそうです。

 われわれも体のあちこちに不具合が出てくることが多くなる年齢になりました。定期的に健康診断を受けながら、気長に病気とつきあう時期なのでしょうね。決定的な状況にならないことを祈りつつ。
 

  

2011年4月17日日曜日

花見踊

今年は、東北大震災の影響で、花見は自粛というところが多いようです。
私たちの長唄の会でも、遅い新年会を兼ねてミニ発表会を予定していましたが、諸事情を考慮して中止しました。
それでも我が家の前にある小学校の桜はきれいな花をつけて、少しの間ですが心を和ませてくれました。被災された方のことを思うと花見という気分にはなれませんが、来年には少し落ち着かれて桜の花を愛でる気分になられることを祈りたいです。

震災から1か月が経ちましたので、上町のお囃子のお稽古も再開しました。あまり長い間を空けてしまうと子どもたちのやる気も失せてしまいますので。町内の方たちも暖かく見守ってくださいます。本当にありがたいことです。

長唄のお稽古も、会場が夜間に使えなくなるところが多いので、時間を土、日の昼間を中心に替えて、5月から再開される見通しとなりました。
私自身のお稽古も少しずつ再開していまして、自主練習していた「花見踊」の暗譜が完了して、通して引くことができるように練度を上げています。折しも、自宅前の桜が満開で、この曲を弾くことができるようになったことはちょっと感慨深いものがあります。
来年こそは、もっと晴れ晴れとした気分で「花見踊」を演奏したいものです。

2011年4月12日火曜日

余震が続きますね

今日、4月12日は朝から余震が続きますね。
通勤途中に、モノレールの千葉駅でちょうど震度4の揺れが来ました。
安全確認のため15分ほど停車した後、徐行運転が開始されました。
職場に着くと、京成の千葉線は運転見合わせ、京葉線はかなりの遅れが出ていました。
昨日の夕方も地震の影響で列車のダイヤが乱れていました。
今日は、まともに帰れるのでしょうか。

本震から1ヶ月経っても、これほどの頻度で大きな余震が続くと、「余震」ではなくて関東地方で大きなのが来る「前震」ではないのかと疑心暗鬼になってしまいますね。
心配していても来るものは来るでしょうから、せいぜい準備を怠りなくしましょう。

ところで、1週間ほど前に地震保険の調査士が我が家に来て調査に来てくれました。
結果は、家財は該当せず。(壊れたものが少なすぎました。保険金額の5%以上でないと対象にならない。)
家屋は「一部損壊」と認定されました。壁と土台に被害が発生していました。
ちょうど壁の塗り替えを予定していましたので、早急に壁の補修をします。

2011年3月15日火曜日

〝油断〟 我が家はほぼ解決

 家内と午前9時半過ぎに近所のスーパーに徒歩で買い物に出かけたところ、スーパーの向かい側にある出光のガソリンスタンドが営業を始めていました。交差点の2方向には長蛇の給油待ち行列ができます。パトカーが出動して、警官が交通整理に当たっていて、「給油待ちの車は、できるだけ左側に寄りハザードランプを点滅させてください。」と放送しています。このごろのおまわりさんは親切ですね。
 我が家の車は、ガソリンは半分ちょい入っていますが、灯油はほとんどからの状態です。バイクで店まで行って、おじさんに聞くと、灯油も販売している由。早速、家にとって返し20リットル入りのポリタンクを積んで買いに行きました。値段は91円/ℓと高いです。まあ、停電ではエアコンも使えなくなりますから、やむを得ないでしょう。物置から電気を使わない石油ストーブでも引っ張り出して、停電に備えましょう。
 2度目の石油買出しに行って帰宅すると、家内が車で出かけていました。しばらくすると「満タンにしてきたよ」と帰ってきました。隣の奥さんがバスで四街道に出かける途中で、少しはなれた三叉路にあるエッソのスタンドが開いているとバスの中から家内に電話をくれたのだそうです。店開きしたばかりらしく、ほとんど並ばずに給油できた由。ただし、現金ではなくクレジット払いのみの取り扱いだそうです。値段は144円/ℓで、このあたりでは地震後の相場の金額ですね。
 今日から3月21日まで職場は休止していますので、家に居るしかありません。我が家の油切れの心配は少なくなりまたが、被害のほとんどなかった地域でもこの状態ですから、被災された方の苦労を思うと、申し訳ないような気持ちでいっぱいです。せめて義捐金でも申し込みに行ってきます。

2011年3月12日土曜日

通勤難民

 東北大地震の影響で、通勤難民を体験しました。
 私の勤務地は千葉市美浜区新港です。障害者の就労支援施設で昨日は22名の訓練生が作業訓練を受けていました。
 地震発生時は、安全のため訓練生を建物の外に避難させました。一度作業に戻ったものの、大きな余震が発生したところから、訓練生を帰宅させることになりました。
 着替えが終わって、訓練生全員の人数と職員の人数を確認してから、避難所に指定されている千葉みなと公園に向かいました。
 公園には、数百人が避難していました。一部では液状化現象で水と泥が噴出しているところも見受けました。公園では、訓練生をまとめて、点呼して名簿を作成しました。そこに外出先からセンターに戻り、そこから自転車で駆けつけた施設長が到着し、徒歩やバスで自力で帰宅できる訓練生以外は、一度施設に帰ることになりました。
 私は、千葉駅からバスで帰ることができる訓練生5名を引率していくことになりました。公園から千葉駅までは徒歩で15分ほど、行きかう人々は落ち着いて行動していました。
 千葉駅に着くと、JRはまったく動いていませんから、駅前のバスターミナルは人でごった返していました。
 訓練生のうち2人は、普段通勤でバスを使っているので、それぞれのバス乗り場に行ってもらいました。残る3人のうち1人は、鎌取までバスで行き、徒歩で帰れるということで、鎌取駅行きのバスに乗せました。もう1人は、私と同じ四街道駅まで行くバスを待つ人の列に並ばせましたが、この時点ですでに行列は100メートル以上の長さに達していました。最後の1人は白旗在住なので花輪行きのバス乗り場までつれて行き、花輪行きのバスに乗るよう伝えました。
 ここでセンターに連絡をいれようとしましたが、携帯電話はもちろんぜんぜん通じません。駅前の公衆電話も長蛇の列ですぐには使えません。そこで、駅から離れた公衆電話を探すことにして、千葉三越の先まで行くと公衆電話がすぐ使えました。この電話で、以上の顛末を施設に報告し、今度は自分が四街道行きのバスの列に並ぶことにしました。
 駅前に取って返すと、駅前は広場はバス待ちの人で一段と混雑が増していました。四街道行きのバス停は、15番という駅から100メートル以上離れているところにあります。先頭から列をたどると、ほとんど駅の入口に近いところに最後尾がありましたので、そこに並びました。
 並んだ時刻午後6時、四街道行きのバスはもともと便数が少ないのか、ほとんどバスが来ません。寒い中で待つこと2時間半以上、やっとバスに乗れたのか午後8時30分。しかし、車の渋滞で、バスはなかなか進みません。特に、都賀駅から四街道駅の間はほとんど車が動かないような状態でした。ようやく四街道駅に到着したときは、は午後10時10分過ぎでした。家内に駅まで車で迎えに来てもらって、自宅に着いたのは午後10時半ぎになりました。
 千葉駅に到着したのが午後5時ごろでしたから、ほぼ4時間半かかっています。千葉駅からこれほどの時間がかかったので、東京からの人はどれほどの時間がかかったのでしょう。
 体験したくはありませんでしたが「通勤難民」の体験記でした。

2011年3月8日火曜日

三ヶ月ぶりの更新です

ここのところいろいろと忙しくて三ヶ月もサボってしまいました。
 特に今年の冬は寒さが身にしみています。
 ちょっと遅くなりましたが長唄の会の新年会が、3月の末におそば屋さんの二階を借りて開かれることになりました。先生によりますと、今年の暮れの発表会は少し大きくやりたいとのことで、今回はミニ発表会にするということでした。
 私は今回も欲張っていろいろとやらせていただく予定です。
 生徒皆さんで、『松の緑』、『雛鶴三番叟』をやりますので、私は『松の緑』で唄を『雛鶴三番叟』では三味線をやらせていただきます。また、Fさんが『越後獅子』をなさりますので、これも唄で参加です。
 私の三味線は、『呼応』と『神田祭』です。『呼応』は暮れの忘年会で先生とやらせていただきましたので、これで二度目の発表になります。今回は落ち着いてやりたいと思います。『神田祭』は、中程の本調子の一部を抜いたショートバージョンになりますがそれでも、10分くらいはかかりそうです。
 花見にはちょっと早いですが『花見踊』でもよかったかな。まあ、来年のお楽しみということにしましょう。