2009年12月30日水曜日

Core i7 と Windows 7

久しぶりにパソコンネタです。
11月のはじめに、メイン機のOSをWindows 7に変更しました。理由は特にないのですが、まあ流行ものが好きということで。システムの起動と終了は確かに時間が短くなったような気がしますが、それ以外はあまり変わったようには感じません。

次に12月20日にビデオ編集機用にCPUをCore i7 - 860に変更しました。今までのCPUはCore 2 Quad 9550でした。こちらの変更は結構大変でマザーボードとメモリも変更しなくてはなりません。
マザーボードは安いのにしたところ、ビデオカメラから映像を取り込むためのIEEE1394のインターフェースがついていないので、追加のカードを購入する羽目になりました。ちょっと研究不足でした。

ビデオ編集機は、Canopus DV-Stormというビデオ編集用のパーツを動かすためにWindows XPで動かしていましたが、新しいマザーボードでWindows XPがうまく動かないので、この際Windows Vista に変更することにしました。ハードの載せ換えよりも、OSとソフトウェアのインストールの方が余程手間暇がかかります。今日やっと一通りのソフトウェアの稼働を確認できました。
このところ、パソコンをあまりいじっていなかったので、やはり勘が鈍っているようです。こちらの方も定期的に〝お稽古〟していないといけないようです。

2009年12月7日月曜日

発表会、今年は無事終了

今年も、実は「尚電」は大丈夫か? と多くの人が、密かに思っていたようです。
(願っていた人はいないと信じたいのですが)
おかげさまで、今年は大丈夫でした。
例年より番数は多かったのですが、ほぼ時間どおり終えることができました。
たくさんのお知り合いの方々にお越しいただきありがとうございました。
特に中学校の同級生の方々にたくさんおいでいただき、ミニ同窓会の雰囲気もありました。
私の出し物は、三味線が「新曲浦島」、唄が「吉原雀」と結構大きな曲でした。
それぞれ小さなミスはたくさんありましたが、それでも大崩れせずに最後まで演奏できました。
先生並びに助演の先生方に感謝です。
打ち上げでは、早速来年の発表会の曲を何にするかという話も出ていましたが、もうしばらくは今年の余韻に浸りたいと思います。

尚電 「新曲浦島」











 F蔵さん 「安宅の松」











 F田君 「娘七種」

2009年11月28日土曜日

いよいよ発表会

来週の日曜日(12月6日)は、三味線と長唄の発表会です。
昨年は、9月でしたが、発表会の最中に「一過性全健忘」にかかって、救急車のお世話になり、皆様に大変ご心配をおかけしてしまいました。
今年は、そんなことの無いように、お酒も少し控えめにして、準備します(笑)。
今回は佳櫻会が5回の節目なので、結構番数が多くなっています。

第5回 佳櫻会 ・ 第2回 まりも会

平成21年12月6日(日)午後1時30分から

佐倉市 和田ふるさと館(二階ホール)

佐倉市八木850-1 ℡043-495-4000


             唄         三味線


雛鶴三番叟      杵屋利次郎      東音南谷 舞

           東音丸山登紀子    東音山沖祐子


末広狩        東音丸山登紀子    橘田裕子

           杵屋利次郎      東音大木啓衣


(合方)チンチリレン            橘田裕子

                      東音大木啓衣


           東音安岡麻里子    長谷川京子

五郎時致       東音丸山登紀子    東音大木啓衣

                   (上)東音山沖祐子


(合方)チンチリレン            藤田和也

                      山田敏夫


           船蔵尚一       東音大木啓衣

鞍馬山        杵屋利次郎      東音山沖祐子

           東音安岡麻里子 (上)東音南谷 舞


(合方)滝流し               船蔵尚一

                                (上)山田敏夫


           杵屋利次郎      山田敏夫

新曲浦島       東音安岡麻里子    東音大木啓衣

           東音丸山登紀子    東音山沖祐子


(合方)
二人椀久              丸山登紀子

                      東音大木啓衣

           杵屋利次郎      藤田和也

新曲浦島       東音安岡麻里子    東音大木啓衣

           東音丸山登紀子    東音南谷 舞


──── 休  憩 ────


お囃子メドレー               船蔵尚一

(鞨鼓、仁羽、四丁目)           山田敏夫

                      藤田和也


           東音安岡麻里子    北木かつみ

那須野        杵屋利次郎      東音山沖祐子

           東音丸山登紀子    東音南谷 舞


           東音安岡麻里子    
船蔵尚一

安宅の松       杵屋利次郎      東音丸山登紀子

                   (上)東音大木啓衣

                   (笛)藤田和也


           山田敏夫       東音大木啓衣

吉原雀        杵屋利次郎      東音山沖祐子

           東音安岡麻里子    東音南谷 舞


                   (終演予定 午後5時)

2009年10月31日土曜日

10月も終わりですね

気がついてみたら、10月は一度もブログを書いていませんでした。
根が無精なのでしょうか。あまり、ホームページとかブログとかは向いていないようです。
情報発信する気持ちはあるのですが、ネタがないのです。
うまく書けないというか、ほかの人に読んでいただいておもしろいという話題を書くことができない、というのが正直なところです。
その点、我が先輩のKazuさんは、文章がうまいのです。私などはとてもああいう風には書けません。
本当に感心します。
http://www.catv296.ne.jp/~kazu_ara

私が第三の職場に通い始めてから、早くも二ヶ月が過ぎようとしています。
障害を持った方々が就職するお手伝いをするという仕事ですが、正直なところ、何を、どうしたらいいのか、まだわからないというのが実態です。
来月からは、ハローワークの担当官と話し合って、具体的に企業を訪問するという機会が増える見込みです。
ちょっと不安ですが、まあ、当たって砕けるつもりで、がんばります。

2009年9月29日火曜日

20年ぶりの船釣り

 高校時代の同級生で船橋から釣り船に乗ってイシモチ釣りに出かけました。
女性陣の強い〝要請〟というか、ほとんど〝命令〟です。
仲間の紹介で船橋の「つり滝」さんという船宿を紹介してもらい、船橋からはるばる木更津沖の「海ホタル」付近まで約50分ほどの船旅です。
 ちょっと曇っていましたが、風もなく穏やかな海でした。念のためメンバーが持ってきてくれた酔い止めの薬を全員服用したおかげで、船酔いはなしでした。

 全員、素人と同じ状態ですが、一応釣り師ような顔ですね。


 船長の合図で棹を入れると、10人ほどのお客の中で、最初につり上げたのは、我がSさんでした。皆、唖然。


 その次は、もちろん、ちょっと経験のある私、Shodenさん。


 釣り場のすぐそばには、「海ホタル」


 全員、3匹以上は釣れました。

でも、我々素人を何くれとなく面倒見てくれた方は、45匹以上つり上げていました。そのうち、かなりの魚を私たちにプレゼントしてくれたのは、内緒です。





2009年9月3日木曜日

すっかりご無沙汰

 1ヶ月半もご無沙汰してしまいました。
ここ2週間ばかり、左の肩、肩胛骨の中程に痛みがあり、思うように三味線の練習が出来ません。決して練習のしすぎではないのですが、夜、寝るときにも痛むのです。三味線の先生には、「痛いときは無理をしないで」とアドバイスされました。
少し様子を見ながら、二日から三日に一度の練習にしています。

 ところで、突然ですが、9月3日から、お勤めに出ることになりました。
知り合いからお誘いを受け、障害を持つ方たちの就業支援をするNPO法人で、障害者の企業への就労アップをお手伝いする仕事をすることになりました。
 週4日、月16日ほどの出勤になります。今まで経験したことのない分野ですが、少しでも障害を持つ方たちのお役に立てればと思い、老骨に鞭打つことにしました。
 ただ、勤務が午後6時までなので、今までのように長唄のお稽古にすぐに出かけられません。この点だけが、ちょっと気になります。
 前回のブログで書いた「滝流し」の上調子は、結構スムースに弾けるようになりました。また、「新浦島」の合方も、慣れてくるとずいぶんと楽に弾くことが出来るようになっています。
 調子に乗って先生に、もっと長い上調子を、とお願いしたら、「秋の色種」の全曲の上調子をお稽古することになり、先生からお借りした青柳譜を文化譜に変換しました。これから、本格的なお稽古に入ります。

2009年7月18日土曜日

ミステリーツアー(2)

 2日目。といっても最終日は9時15分発の便ですから、朝5時50分ホテルピックアップで何も出来ません。従って、この日が勝負?
 今回は、買い物が中心ですから、朝ホテル近くの食堂で「カルグクス(韓国式うどん)」と「餅入り水ギョウザ」を食べてから、タクシーで新羅免税店へ向かいました。新羅免税店ではタクシー代の一部を金券で出してくれます。5001ウォン以上かかれば1万ウォンの券がもらえます。リバーパークから新羅免税店までは18000ウォンほどでした。途中朝のラッシュに引っかかり30分以上かかりましたが、それでも日本円で1400円程度ですから、ソウルの交通費は安いです。

 新羅免税店からは無料シャトルバスが出ていますので、これに乗って東大門市場(トンデムンシジャン)へ向かいました。東大門での買い物は今回はないので、そのまま地下鉄で鐘路5街(チョンノオーガ)へ行き、ユッケのおいしい店「チャメチッ」で昼食です。この店のユッケも毎回食べに行きます。肉の下に細切りの梨が敷き詰めてあり、これと肉との味がバランスがいいのです。他には生レバーとセンマイも頂きました。
 腹ごしらえが済んだら次は南大門市場(ナンデムンシジャン)です。ここでは、いつもは衣料品(靴下やブラウス、下着)などが中心なのですが、今回は、あるものが欲しくなりました。それは、韓国の食堂に行くと必ずある食卓用ティッシュです。
 まず、この容器を探すことにして、市場の食器を扱っている店をみつけて、2個ほどゲット。その店のおじさん(アジョシ)に「この中に入れるティッシュばどこで売っているの」と、勿論韓国語では言えませんから、身振り手振りで聞く(?)と、店の外に連れて行かれで、眼鏡屋の向こう側にあるというようなことをいっているようなので、そちらへ向かいました。
 でも、やはり見つかりません。そこで、親切そうな鞄屋のお兄さんに「この辺でティッシュを売っている店はありませんか」と日本語で聞くと、親切にその店に連れて行ってくれました。鞄屋のお兄さんは日本語が通じます。いつも「社長。鞄いりませんか。完璧なニセモノあるよ。」とやってますから(笑)。

 その店で、買った入れ物を見せて「これに入れるティッシュが欲しい」と身振りで説明したら、すぐにおじさんが持ってきてくれました。「ドン」と段ボール一箱です。「こんなにいらないから、半分だけ売ってくれ」というと、「ダメ」。じぁ「一箱いくら?」と聞くと、「15000ウォン」。「うーん困った。」まだキムチやチャンジャをロッテマートで買わなくてはならないし、この段ボールを持って、地下鉄に乗ったりするのはえらいことだ。でも、まあ日本円で1200円なら半分捨ててもいいや、という気持ちで、買って帰ることにしました。

 この段ボールを抱えてロッテマートにたどり着いたのが次の写真です。
 この大きさですもの。ラッシュ時の地下鉄に乗ったら、顰蹙ものですね。でも、乗ったのです。さすがにバスに乗るのは気が引けるので、地下鉄「堂山」の駅からはタクシーで帰りましたけど。
 ホテルについて、段ボールをあけると、ティッシュの束が100個入っていました。
 問題は、これをどうやってスーツケースに入れるかです。今回のツアーは買い物中心と決めてきたので、スーツケースの半分は全くの空で、新聞紙を丸めて詰めてきましたので、いつもより余裕はあるものの、さすがにティッシュ100個となると大変です。なんとか、詰め込みながら、数個を残して全部収まりました。フゥー。
 最後の夕食は、ホテルの前にある焼肉料理店「李朝」。家内が事前にクチコミで調べたとおり、安くておいしい店でした。食べたのは勿論「テジカルビ」豚です。ご飯代わりにヒビン冷麺を取ったのですが、これが辛かった。でも、麺がそうめんのように細くてうまかった。
 ということで、今回のソウルは、いつものソウルと違って、風変わりな旅となりました。

ミステリツアー(1)

 先月の半ばにしゃれで申し込んだHISの2泊3日ミステリツアーの行く先は、予想どおりソウルでした。旅行費用に空港利用料を加えても、二人で3万円で少しおつりがきました。
 往きの飛行機は大韓航空702便、成田12時55分発で、ホテルには午後4時過ぎにチェックインしましたが、ホテルの場所は江南のホテル・リバーパーク、地下鉄2号線堂山(タンサン)駅からタクシーで5分(約4000ウォン=300円)ほどかかるところです。今まで泊まったところでは一番交通の便が悪いところでしたが、1万円ですから文句は言えません。
 チェックインの後は、お約束のロッテ免税店まで行き、解散。途中の混雑で6時過ぎになっていましたので、私たちは、そのまま地下鉄「市庁(シチョン)駅」近くにある、いつもの伝統韓定食の店「チョガチッ」へ。この店は12種類くらいのおかずのイシモチ揚げ定食が1人前8000ウォン(2人前からの注文になりますが)です。今回はそれよりおかずの多い13000ウォンの定食を頼みました。この店の東々酒(トンドンジュ)は、値段は7000ウォンとマッコルリに比べるとやや高いものの、壺に入れて出してくれて、二人で飲むにはちょうど良い量です。味は、マッコルリより濃厚で、アルコール度数も高いようで、とてもおいしいです。私たちがソウルへ来ると必ず1度は寄る店です。
 夕食の後は地下鉄でソウル駅まで戻り、駅のすぐ脇にあるロッテマートで買い物です。キムチやチャンジャは翌日に回し、サムジャン(コチュジャンほど辛くない味噌)や韓国ノリ、料理ばさみ、トングなどを買い込みました。
 

2009年7月1日水曜日

上調子(2)

 上調子の調弦についてです。滝流しの場合はもともと二上りに調弦しておいたものに「かせ」を勘所④の位置にかけます。そうすると、元の音程が一の糸から順番にシ、#ファ、シとなっていたものが、「かせ」をかけることにより完全5度高くなりますから、音程は、ミ、シ、ミとなります。慣れるまではちょっとややこしそうですが、実際に音を合わせるときには、本手(本調子に調弦)の二の糸と上調子の一の糸が同じ音程に、さらに本手の三の糸と上調子の二の糸が同じ音程となるように調弦します。

 次は、勘所の押さえ方ですが、上調子では、指遣いが今までと異なるところがあるようです。本手では、②、③を押さえるときは、人指し指(Ⅰ)と薬指(Ⅲ)で押さえますが、上調子では人指し指(Ⅰ)と中指(Ⅱ)で押さえるのだそうです。「かせ」をかけた分、棹が全体的に短くなっていますから、勘所の間隔も狭くなります。そのため指遣いも違ってくるのでしょうか。さらに、⑥→②と早く移動するときも、本手ではⅢ→Ⅰという指遣いが普通ですが、上調子ではⅡ→Ⅰというふうに遣うようです。

 上調子の稽古は、まず「かせ」をかけずに、二上りのままでお稽古し(ただし、指遣いは上調子で)、それができたら、「かせ」をかけてお稽古するようです。先日のお稽古では、初めて「かせ」をかけて本手と合わせて頂きました。二上りでは暗譜して弾けるようになっていたので、想像していたよりは上調子の勘所の位置はわかりやすかったと感じました。それでも、譜面を見ながらではおぼつかないですから、先生のおっしゃるように、まず二上りで指遣いをマスターすることが先決のようです。

2009年6月30日火曜日

上調子

 勧進帳の滝流し合方の上調子(うわぢょうし)のお稽古を始めています。研精会譜の手付けを頂いて、文化譜に変換して、暗譜がほぼおわりました。
 昨日のお稽古で、上調子を弾くための「かせ」の付け方を教わりました。「かせ」とは、ギターのカポタストに相当するもので、滝流しでは文化譜の④の位置に、木製の駒をひもでくくりつけます。
 「かせ」のかけ方にも決まった作法があるようです。
 まず、三味線を立てて上部の天神を左肩に立てかけて、勘所④の0.5cm~1.0cmほど上にカセを位置づけて、ひもを一度棹にクロスさせて巻き付け、右手で持った紐は上方向から、左手で持った紐は下方向からカセに巻き付けます。さらにもう一度紐を棹にクロスさせ、同様に右手は上から、左手は下からカセに巻き付けます。ここで、紐がゆるまないように押さえながら、三味線を右に180度回転させ、天神を右肩にかけます。これで棹の裏側が上になるので、カセが動かないようにしっかりと花結びにします。
 さらに「かせ紙」といわれる和紙をコヨリ状に撚ったもの(書類を綴じるコヨリの3本分くらいの太さがあります)を棹の下部(鳩胸)から差込み、これを勘所④の位置にセットし、「かせ」をこの位置まで押し下げて、かせ紙と密着させ、三味線を裏返して右肩にかけ、「かせ」の紐を天神方向にまとめながら、かせ紙で押さえて結びます。
 
 次に、調弦ですが、長くなりましたので、次回に。

2009年6月15日月曜日

HDDレコーダー奮戦記 その2

 REGZAでハードディスクを認識させるには、最初にハードディスクの登録という作業が必要です。USB-HDD単体では、この作業はすぐに出来るのですが、USL-5PにUSB-HDDをつないで、さらにUSL-5PとREGZA本体の裏側にあるLAN端子(汎用)にLANケーブルをつないで、登録作業をしても、「ハードディスクが見つかりません」というメッセージが出て、REGZAにHDDを認識させることが出来ませんでした。
 ネットで調べると、USL-5P配下のUSB-HDDは、USL-5Pで専用のフォーマットを行い、さらにその際に作られる特殊なファイルを削除してから、REGZAにつなぐべし、という記事をみつけました。そこで、パソコンにUSL-5PをLAN接続、これに1TBのUSB-HDDをつなげて、ブラウザを起動し、アドレス欄に「http://usl-5p/」と入力、ユーザー名を「admin」としてUSL-5Pにアクセス、設定欄からHDDのフォーマットを選んで専用フォーマットをしました。1TBで約30分ほどでフォーマットが終わります。フォーマットが終わったところで、パソコンのマイネットワークからUSB-HDDを開くと「usbdisk4」というような名前でハードディスクが認識されます(数字はUSL-5Pに接続ししたときのポートの番号)。ハードディスクには「lost+found」というフォルダが作られていますので、これを削除しました。
 次に、REGZAとの接続は、いろいろ試した結果、LAN-HDD専用端子とUSL-5PをLANケーブルで接続し、さらにUSL-5PとUSB-HDDを接続します。テレビ本体の電源をいれ、USB-HDD、USL-5Pの順で電源オン。1分ほどするとUSL-5Pの電源ランプの点滅がしなくなり、グリーンのランプが点灯します。(今までは、ここで電源ランプが赤の点滅になって、IPアドレスがうまく取得できていないという状況が続いていました。)さらに、リモコンのレグザリンクからレグザリンク設定→LANハードディスク設定→機器の登録と進んで、無事ハードディスクを認識させることが出来ました。
 これで、2台のUSB-HDDを合わせた録画時間は360時間ほどになりますから、当分撮りためても容量の心配はなさそうです。

HDDレコーダー奮戦記 その1

 我が家のメーンテレビは東芝のREGZA 42Z700という機種です。このテレビの売りは、USBハードディク(HDD)やLAN接続HDDをつなげて番組を録画できるというところです。私も何台かUSB-HDDを持っていましたので、これを活用しようと、この機種に決めました。もっとも、録画した番組は、録画したテレビでしか見ることは出来ませんし、DVDなどのメディアにコピーすることも出来ません。初めてUSB-HDDをREGZAにつなげるときに、REGZA専用のフォーマット(初期化)をする必要があります。
 最初に接続したUSB-HDDは500GB(ギガバイト)はでした。これで標準画質なら120時間ほどは録画できるのですが、いくつかの1時間番組を連ドラ予約しておくと、残り容量が気になります。そこで、倍の容量の1TB(テラバイト=1000GB)のUSB-HDDを追加で買いました。ついでに、5代のUSB-HDDをつなぐことの出来るBuffaloのUSL-5PというUBS to LAN Converterというのも買ってきました。REGZAには通常1台のUSB-HDDしかつなげません。(LAN-HDDならハブを使えば8台までつなげるのですが、LAN-HDDはUSB-HDDと比べて高価です)そこで、USL-5Pを使って5台までUSB-HDDをつなげてしまおうという魂胆です。
 ところが、USL-5Pに2台のUSB-HDDをつないでも、REGZAがUSB-HDDを認識してくれません。5月の末からいろいろ試してみましたが、全て返り討ちにあい、使うのをあきらめかけていましたが、ネットで調べるとREGZAでUSL-5Pを使っているという記事が多く見ることが出来ます。再度気を取り直してつなげてみることにしました。(続く)
 

2009年6月8日月曜日

音のつぶを揃える

 今、お稽古している「新浦島」の合方で結構苦戦しています。
 合方は、それほどテンポが速いわけではないのですが、なかなか難しい手付けが多く、きれいに聞こえません。そこで、先生からアドバイスを受けたのが、「一つ一つの音のつぶを揃えて弾く」ことです。私が弾いているのと、先生が弾いているのを聞き比べると、先生の音は確かに一つ一つ聞き取れます。私でも、ゆっーくり弾けば、それは一つ一つの音は聞き取れますが、普通に合方を弾くスピードでやると、何となくベチャーとして感じになります。
 合方でよく出てくる手に「トチチリチリツル トツツルツレツロ トツツルツレツロ トツツルトツツル トツツルルンツン」というのがあります。これの弾き方を今日のお稽古でアドバイスしていただきました。ポイントは左手薬指のはじき方でした。薬指できちんとはじけていないことが、音の切れの悪さにつながっているようです。左手薬指できれいにはじくことを意識して弾くと、少し音のつぶがそろって聞こえてくるような気がしました。
 
 それから、次の発表会では勧進帳(滝流し)の合方の上調子をやることになったのですが、上調子の譜は文化譜で出ていないので、先生から研譜をお借りして、それを文化譜に変換しました。不明なところを先生に直していただき、一応完成しましたので、来週から本格的に練習します。
「カセ」のかけ方も一応教わりましたが、実際にカセをかけて弾くのは少し先になりそうです。 

2009年5月29日金曜日

ソウル食い倒れ旅

 5月25日から29日まで、ソウルに行って参りました。
今回のツアーは、ネット限定の安ーいツアーで元々3泊4日を1日延泊して4泊5日にしました。
と言っても往きは成田を夜8時30分発、帰りは仁川を午前10時発ですから、実質は中3日です。
ホテルは、南大門近くの「ホテルパレス」。ネットのクチコミでは評判はイマイチでしたが、私たちとしては、値段相応と思いました。ただ、浴室にシャワーカーテンがないので困ったというクチコミがありましたので、吸盤と物干し用のロープ、二畳ほどのレジャーシート、洗濯ばさみを持って行きました。大正解でした(笑)。
 また、今回は劇場での公演を2つ(NANTAと貞洞劇場の「微笑Miso」)鑑賞し、さらに伝統韓定食の店で韓国伝統音楽を鑑賞しながらの食事と、ちょっと芸術に重きを置いた旅にしました。
 ただ、前大統領の国民葬の最中という時期と重なりましたので、貞洞劇場のある徳寿宮周辺では前大統領を偲ぶ人たちで歩道・車道が埋め尽くされていて、いつもの道順では地下鉄の駅にたどり着けず、別のルートをたどって帰りました。
 私たち夫婦の旅は基本的に食べ歩きが中心ですが、今回のヒットは「明洞スンドゥブ」という店ですね。二人で三人前も食べてしまいました。また、朝食には南大門市場のマンドゥ(日本で言えば「肉まん」でしょうか)が安くて、おいしいので朝食に二回も通いました。
 最後の夜は、江南にある「プルヒャンギ三成本店」という伝統韓定食の店に行きましたが、ここは私たちには珍しく「高級韓定食」で、韓国伝統音楽の生演奏を楽しみながら食事をします。
ただ、お客のほとんどはいわゆる「社用族」のようで、外国人を接待しているという客が多かったようです。(こちとら自前じゃ)一度は経験のつもりで行きましたが、いつも行く庶民の韓定食の5倍から8倍という値段では、おそらくは次はないかもしれませんね。

2009年5月19日火曜日

夏本番 三社祭

 今年の三社祭は珍しく雨にたたられました。10年以上駒形どぜうさんにおじゃましてお囃子の演奏をさせていただいていますが、雨模様となったのは二度目です。ただ、太鼓の搬入の時に少し降られたものの、演奏を始める午前10時ころには上がり、その後本社神輿(今年は一之宮)が予定の1時間遅れで駒形どぜうさんの前を渡御した午後4時前まで降られずに済みました。本社神輿の渡御では駒形どぜうの社長さんが御幣で先導役を務めてらいらっしゃいました。
 今年は雨模様のためビデオは持参していませんので、画像は本家の唐丸さの見聞録でどうぞ。

 退職後の生活も少しリズムが整いつつあります。今週3つほど最後の送別会のような形で飲み会があり、そのあと25日から5日間ほどソウルへ出かける予定になっています。新型インフルエンザの影響もあり、どうしようか迷っていましたが。どこにいても罹るときは罹ると言うことですから、思い切って出かけることにしました。それより韓国国内の感染者より関西方面の感染者の方が断然多いので、仁川空港ですんなり入国させてくれるかどうかの方が心配です。マスクと消毒用のアルコールを持って行ってきます。

2009年4月27日月曜日

看板に偽り?

 邦楽などと名乗っておきながら、病気とパソコンばかりのネタで、些かどころか大分看板と違う内容のブログになってます。
 で、長唄の方ですが、「新曲浦島」の暗譜が終わって、今最後の部分にあるちょっと長目の合方(三味線の独奏で聞かせどころでもあります)のお稽古をしています。眼科に術後検診に行ったり、パソコンを直したりと、勤めのころより忙しく、お稽古の時間が少なくなっています。「新浦」の合方では、今までに経験していない弾き方がいくつかあり、ちょっと苦戦してます。この曲の発表は12月の予定ですから、気長にやっていきます。

 次は、パソコンネタです。先月の9日に光フレッツにして、回線の端末装置が今までのCATVケーブルモデムからルーター機能付きの光回線終端装置(ONU)に替わりました。その影響なのか、女房のノートパソコンの無線LANがインターネットにつながらなくなってしまいました。
 CATVの時は、ケーブルモデム→スイッチングハブ(8ポート)→無線LANブロードバンドルータ(親機)とつないで、ノートパソコンに無線LANカードを差して問題なくネットにつながっていました。
 ところが、ONUにこの無線LANルータをつなぐと有線LANでつながっているパソコンまでネット接続が出来なくなるという現象が出てしまいました。そこでやむを得ず、ノートパソコン用の無線LANルータはONUにつながないでいました。
 原因をインターネットで調べていくと、「二重ルータ」であることが原因らしいとわかりました。ONUもルータ機能があることから、二つのルータが競合してネット接続が出来なくなっているようです。無線LAN親機のルータ機能を停止して、ブリッジ機能だけに変更できれば、問題解決しそうとわかりましたが、私が使ってるPlanex BLW-04GMという機種はこの機能がありません。
 そこで、思い切って無線ルータと無線LANカードのセットを買い換えることにしました。購入したのは設定が簡単そうな BuffaloのWHR-G300N/Pです。
 この機種は、光回線接続用のルータの存在を自動的に検出して、ルータ機能とブリッジ機能を自動的に変更してくれます。また、ノートパソコンの無線LAN設定もAOSSというボタンを一つ押せば1分ほどで自動設定してくれます。今までは、無線LANの設定で頭を悩ませていたのが嘘のように簡単です。
 LANとインターネット接続の仕組みがよくわかっていないから、無線LANの設定が難しく感じるのでしょうが、一度設定してしまえば、トラブルがない限り普通は必要がない知識ですから、特に難しいことなく求める機能が得られれば、それに越したことはありません。少しずつではありますが、パソコンとその関連製品も「家電」に近づいているようで、これはいいことだと思います。

2009年4月23日木曜日

視界良好

 昨日、白内障の手術が無事終わりました。
手術時間は20分ほどでしたが、局所麻酔から含めると35分くらいかかりました。手術中は眼球が押されるくらいの感じで痛みはありません(むしろ麻酔薬の点眼の方がしみます)が、手術中に右目に当てられる強い光(白く見えたり、ピンクに見えたり)をじっと見つめて、瞬きをしないようにする方がよっぽどつらかったです。両目をあいていないと視線が上に行ってしまうようです。先生に「危ないから瞳を動かさないように」と言われても、自然に動いてしまうんですよ。
 手術後、上目蓋に軟膏を入れられて、絆創膏を貼られ、さらに上から大きなキャップをかぶせて、さらに絆創膏を貼られます。まるで「お岩さん」のようになります。自分で鏡を見てもちょっと不気味。暗いところで出くわしたら、女性なら悲鳴が上がりますね。
 
 今日は、検眼と眼帯を外してもらうために午前9時に眼科医院に出かけました。眼帯を外して、めをぬぐってもらい、ゆっくりと目を開けると、「おーっ。くっきり、はっきり」。物の色、形がクリアーになりました。そうなると気になるのは左目です。先生からは、「左もいずれは手術が必要になるでしょう」と言われています。今日の見え方は、左目はややクリーム色がかって見え、右目は左に比べると青みがかって見えます。蛍光灯の昼光色と白光色の違いと言えばわかりやすいでしょうか。左目も、少しずつ白内障が進んでいるようです。
 
 術後は、透明の眼帯を貸してくれます。昼間は3日間、夜寝るときは6日間、この眼帯をする必要があるそうです。もっとも、昼間、眼鏡をかけていれば眼帯は不要とのことで、今はいつもの眼鏡をかけて、このブログを打ってます。
 また、点眼薬が4種類も出て、3種類が今日の午後3時までは1時間おき、その後は2時間おき、さらに1種類が一日4回ずつ点眼する必要があります。忘れてしまうので、胸のポケットにクッキング用のタイマーを入れて、ピピピと知らせてもらってます(笑)。

 これで、当分は本もディスプレイも支障なく見ることが出来そうです。特に、運転の時に安心感があります。あー、よかった。
 

2009年4月22日水曜日

白内障の手術

 成田の山車祭りは本家の唐丸さんの見聞録に写真付きで紹介されていますので、割愛します。

 今日は午後2時から右目の白内障の手術です。予定では5月19日でしたが、キャンセルが出て早まりました。左右の視力というか目の見え方が違うと結構鬱陶しいものです。右目は、全体にもやがかかっているように見えます。湯気が立っている大きなお風呂に入っているような感じですかね。勿論、細かい字などは見えませんし、景色も木の形、家の形や色はわかるものの、花と葉の区別、窓と窓枠の区別などが出来ません。これが、今日の手術でクリアなレンズに替わるとどうなるか、楽しみです。
 手術は、20分くらいで終わってしまうようですが、明日から3日間は術後の検診が続きます。今日、明日は付き添いが必要と言うことで、女房に送り迎えも頼みました。

 今、術前の散瞳薬を点眼しました。30分おきに点眼します。では、手術に行ってきます。

2009年4月20日月曜日

送別会・慰労会やっと終わりました

 2月の中旬から続いていた送別会・慰労会が4月17日で一段落しました。
30年近く前に一緒に仕事をした方たちから最後の職場まで、いろいろな方たちにお礼と励ましの言葉を頂きました。いくつかの会では、サプライズ企画が用意されていて、女房の手紙にホロリとさせられたり、また、女房そのものが途中から登場するなどというのもありました。本当にありがとうございました。振り返ってみると仕事の面では結構自分の好きなことを、好きなようにやらせていただき、多くの方に助けられました。私と一緒に仕事したことで、その後の仕事のやり方に役に立った、と言われると、お世辞でもうれしいものです。
 最後の職場には、一緒に仕事をする人には恵まれましたが、あまり気持ちのいい終わり方ではなかったのは事実ですが、そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれる会が続きました。自分自身は「嘘をつかない。ぶれない。」をモットーにしてきましたが、それを見てくれている人は必ずいるものです。
 今後は、健康第一、趣味第二。いや、忘れてました。「女房第一」でした。
ということで、早速「成田市制55年記念山車祭り」に行ってきましたので、次の投稿ではそれを紹介します。

2009年4月6日月曜日

ネパールの青年

 昨年の一月の末にタイ旅行をしました。その帰りの飛行機の中で家内と私の隣の席にインド人と見える青年が座りました。すぐに英語で「日本人ですか?」と話しかけてきて、自分はネパール人で日本のインド料理店で働くために東京に行くということでした。一人旅でとても不安そうな目をしていました。入国カードの記載方法を教えて欲しいということで、その記載を手伝うことになりました。彼は、正式のワークビザを持っていましたので、持参している書類を見ながら何とか書類は完成しました。

 成田には彼の友人が迎えにきてくれることになっているそうで、友人の携帯電話の番号を持っていましたので、成田についてパスポートチェックを終えたら私の携帯電話で連絡をしてあげることになりました。しかし、彼のパスポート審査は大変厳しく、別室で30分以上かかってしまいました。私たちもスーツケースの取っ手が壊れていましたので、バゲッジクレームでやはり30分以上の時間がかかりました。その後友人と連絡が取れて、友人が成田空港まで迎えにきてくれることになりましたので、彼とは到着ロビーの出口の待合所で別れました。その時の不安そうな顔が忘れられませんでした。

 半年ほど経ったときに彼から私の携帯に電話が入りました。日本語もだいぶ上達して、「元気に働いている。空港に迎えにきてくれた友人はネパールに帰国した」ということでした。豊島区の副都心線の千川駅に近いインド料理店では働いているということです。

 その後何度か電話がありましたが、なかなか尋ねていく機会がとれませんでしたが、4月4日に上野で長唄の先生の演奏会があり、その前にたずねて行くことにしました。千川駅につくと彼は駅近くのスーパーの前まで迎えにきてくれました。店は駅から歩いて5分ほどの幹線道路から少し入ったところにありました。店には彼の他に3人のネパール人が働いていました。料理は10種類ほどのカレーがあり、すべてにナンがついてきますが、ナンの味もカレーの味もとても良く、大満足でした。

 彼は、あと1年ほど日本で働いてネパールに帰るということでしたが、帰るときには私の家に泊ってから帰ったらどうかと誘うと、「自分と一緒にネパールに行こう」と逆に誘われてしまいました。彼の家は首都のカトマンズから250kmほど離れたところにあり、お釈迦様が生まれたルンピニーから20kmほどのところにあるということです。皆目見当がつきませんが、来年はネパール旅行を本気で検討してみたくなりました。

               ネパールの青年とお店で

2009年4月1日水曜日

定年退職しました

今日は、朝8時過ぎまで寝ていました。今までだったら、職場に向かう原付バイクの上の時刻ですね。ちょっと飲み過ぎていたので、起きられなかったというのが本当の理由ですが、これが定年を迎えた良さでしょうね。いつ起きたっていいのですから。
昨晩は、長唄のお稽古がありましたので、夜9時過ぎから自宅でささやかなお祝い会をしました。長女とその息子、三味線の先生、唄の先生、それに家内の総勢六人でしたが、大変楽しいひとときを過ごしました。
今日は、早速健康保険を続けるために健康保険料と介護保険料をまとめて銀行に振り込みました。今は、健康保険証がないので病気になれません。ちょっと心配。
昼飯を済ませてから、踊りの会のビデオをDVDに焼く作業に入りました。全部で100枚ほどあるのですが、あと23枚で終了です。退職後の初日は結構忙しいです(笑)。

2009年3月29日日曜日

いよいよ定年です

あと3日で定年退職です。
今の職場には34年間勤めました。アルバイトの期間もまるまる一年ありましたから、通算すれば35年です。
2月から3月にかけていろいろな職場でご一緒した仲間が送別会を開いてくれました。ありがたいことです。
心身ともに健康で定年を迎えるというのは、実は大変難しいことだと感じます。これも女房や家族のおかげです。これからは、今まで以上にスロー&ステディで行きたいと思っています。

2009年2月23日月曜日

新年会が終わりました。


           合同の「松の緑」です。


佳櫻会(三味線)・まりも会(唄)合同の新年会が終わりました。
新年会といっても、ミニ発表会を兼ねていますから、結構緊張します。

私は、皆さんが合奏した「松の緑」と「花見踊」の唄をやらせていただきました。

三味線は、囃子メドレー「鞨鼓、四丁目、仁羽」と、昨年9月の発表会で「一過性全健忘」症ののために演奏できなかった「秋の色種」をやらせていただきました。

 普段は、唄なしでお稽古していますから、唄が入ると趣が異なります。唄を待たずに弾き始めてしまった箇所もあったりしましたが、「虫の合方」「琴手の合方」も何とか弾き終えることが出来ました。私にとっては約半年ぶりのリベンジの曲だったので、少しいい気分です。

2009年2月9日月曜日

今年は春から病気ネタばかり

 今日、眼科に行って検診を受けました。
最近、右目が霞がかかったようになって、左右の視力のバランスが崩れています。
細かい字はほとんど左目で見ているような状況です。従って、細かい字はよく見えなく、すぐに頭が痛くなってきます。当然、本は長い時間読むことは出来ません。
 もうすぐ毎日が日曜日になるのに、図書館に通って本も読むことが出来なければ、楽しみはずいぶん少なくなってしまいます。
 で、思い切って、右目の白内障の手術を受けることにしました。診察の結果、先生も手術した方がいいという結論でした。
 でも、手術は3ヶ月も先です。結構混みあっているんですね。5月なら、いつでも手術をうけられますから、まあ、いいか。
 でも、その前に「眼瞼黄色腫」の手術を受けてしまおうかとも考えています。先日の高校の同窓会で、同級生の皮膚科形成外科の先生(東京の大田区蒲田で開業している医学博士)から、手術してあげるよといわれましたから。

2009年2月1日日曜日

直りました

 土曜日の午前中にかかりつけのクリニックに行きました。
先生にインフルエンザの検査をお願いしたところ、直ったときには、
鼻の粘膜から検体を取って検査はしない、ということでした。
要は、症状を見て医師が判断するようです。

 私の場合は、インフルエンザは、もう他に移す恐れはない、という
診断でした。

明日には、同窓会総会の準備を行わなくてはなりませんので、助かりました。
少なくとも、皆に移す可能性はひくくなりました。

2009年1月29日木曜日

今年は本当にいろいろあります

 日曜日から38度ほどの熱が出はじめました。夜、薬を飲んで寝ると真夜中頃には熱が下がるのですが、翌朝になるとまた熱が出るという症状が、火曜日になっても続いていました。火曜の夕方に、かかりつけのクリニックに行って診断を受け、インフルエンザの検査もお願いすると「残念ながら、A香港型です。」という診断でした。

 タミフルを処方してもらって、1カプセル飲んだら一晩で熱が下がりました。それ以降は37度以上の熱は出なくなりました。タミフルって、初めて飲んだのですが型が合えばすごい薬ですね。1日2回で4日分処方されていますので、土曜日までは飲み続けます。最初の晩は、あまりの汗の量にびっくりしました。肌着とパジャマを3回も取り替えました。今でも、熱は下がっているのに、飲んで1時間ぐらいすると首や腕にうっすらと汗をかきます。しっかり布団を掛けて寝ていると、時々起きてぬぐう必要があるくらいです。

 今日は、咳が少し頻繁に出るようになりました。勤めは、職場の皆さんに移すといけないので、今週いっぱいはお休みします。

 ところで、熱があると三味線は全然ダメですね。弾けません。完全に憶えてきたつもりでも、何を弾いているのがわからなくなってしまいます。大○先生も発熱の最中に舞台に立ったことがあるそうですが、自分がなぜここにいるんだろうと思いながら、最後まで何とか弾き終えたとおっしゃっていました。
また、暗譜も全く進みません。憶えているはずのところが、あやふやになってきてしまいます。とにかくはなく直さなくては。お稽古が始まった『新曲浦島』は、結構ややこしいです。『太鼓の曲』は暗譜が終わりましたので、中身の習熟の段階に入れそうです。

 2月22日には会の新年会で、生徒さんたちがそれぞれミニ発表会をします。私は、昨年やり損なった『色種』と合方をいくつか、皆さんが合奏する『松の緑』の唄をお手伝い、また、『花見踊り』もお手伝いする予定です。そろそろ、お稽古に入らなくては。

2009年1月7日水曜日

無罪放免!

 暮れの検査(MRI、脳シンチグラフィ、認知症のフルテスト)の結果を聞きに、日医大北総病院に行って参りました。
 結果は、脳血流の流れが悪くなっていた部分は改善していて、血行障害は見られないということでした。また、認知症のフルテストは「満点」ということで、こちらもセーフ。ただ、MRIの検査結果で「後頭葉」の一部にやや萎縮(脳味噌が少なくなっているところ)が見られるという結果を告げられました。少ないと言っても、同年齢の平均から5%ほどいうことで、今すぐ心配することはないということでした。萎縮の進行を止めるには何が良いのか伺ったところ、一言「運動でしょうね。」というのがドクターの答えでした。
 ともあれ、9月の「一過性全健忘症」という診断から、いろいろ検査などを受けてきましたが、今日でひとまず無罪放免ということになりました。いろいろご心配を頂いた方々にお礼を申し上げます。特に、心配をかけた家内には、改めてお礼をいいたいですね。

 ところで、昨日抜歯をした家内は、今日消毒のために再度、幕張の大学病院に行きました。
昨日以来、歯の痛みは治まったようで、食べるものも結構いけます。今宵の食卓では、二人の〝全快〟?を祝って、ささやかながらワインで乾杯もしました。いろいろ話した結論は、「健康が一番」という平凡ですが難しいところに落ち着きました。あと3ヶ月でフリーのみとなりますが、その楽しみを生かすにも、やはり「健康」が前提となります。もう一度、生活(勿論財布の中身も)を見つめ直して、再出発に備えたいと決意を新たにしました。

2009年1月6日火曜日

正月から病院のはしご

 あけましておめでとうございます。
には、少し日が経ちすぎていますが、今年は春から病院通いが続いています。と言っても、私ではなく家内の方です。暮れの30日頃から「歯が痛い」と言い出しまして、バッファリンを飲んでいましたが、いっこうに痛みが治まらず、ついに元日の夜に佐倉の休日夜間診療所のお世話になりました。
 元日の夜7時頃にもかかわらず、結構な人数が待合室にはいらっしゃいましたね。病気は時を選んでくれませんから、当然とはいえ、勤務されている方々には感謝、感謝です。また、この施設を設置してくれている佐倉市にも感謝ですね。家内は、休日の歯科診療をやっているところをネットで必死に探していたのですが、年末年始の休みに入っていることから、ここしか見つけられなかったようです。

 4日になってかかりつけの歯科医院に朝一番で診てもらい、大学病院への紹介状を書いてもらって、5日に幕張にある歯科大学の病院で抜歯を頼んでみることになりました。私も、急遽休みをもらい、運転手と付き添いです。(結構待ち時間が長いので、今度お稽古に入った「新曲浦島」を3ページほど暗譜できてしまいました。ちょこっとだけ、邦楽ネタ (^^)V)
 診察の結果、初診当日は抜歯しないのが原則だが、来週韓国ソウルへ出かけるという事情を話して粘ったところ(家内の言ですが)、急患扱いで、午後に抜歯していただけることになりました。
 一時間ほどで手術が終わり、痛み止めと化膿止めをもらって、帰宅しました。明日も、午後4時から消毒のために、幕張の病院に行きます。
 その前に、私の日医大の診察がありますから、明日は、まさに大学病院の「はしご」をします。フゥー。