2008年12月24日水曜日

二度目の検査

 9月に「一過性全健忘」で入院してから、二度目の検査です。担当の先生のクリスマスプレゼントです←嘘。
 検査の内容は、MRIと脳血流シンチグラフィ、さらに約40分ほどの心理療法士による検査。これは、認知症の検査でしょうね。以前、神経内科の先生がやった簡易検査のもっと手の込んだやつ、という感じでした。勿論以前受けた内容も一部タブっていました。たとえば、「100から7を引いて数を答えて……」とか「さくら、ねこ、電車」を憶えてくださいね。といって、しばらくすると、さっき憶えた言葉は何でしたか、などと聞かれます。

 100から7を引く問題は、実は密かに「練習」していたので、とってもスムーズでした。でも、小学二年の孫にこの問題を出したときに、私よりよほどすらすらと答えていたのは、ちょっとショックでしたね。

 そのほかには、ちょっと長い話を聞いて、その内容を繰り返したりなどという難しいのもありました。
 少し引っかかって、自分でもがっかりしたのは「か」のつく言葉をできるだけあげてください、という問題につまってしまってスムーズに出てこなかったことでしたね。

 仕上げに家内にインタビューしておわりでした。この検査の結果は年明け早々の7日に診察でわかります。

 ところで話は変わりますが、ビデオカメラを新たに調達しました。今回購入したのは、PanasonicのHDC-SD9というハイビジョン対応のビデオです。
 特徴は、記録媒体がSDカード(SDHC)で、本体が軽くて小さいことです。私のビデオは、旅行やお祭りが主なのでできるだけ軽いカメラが重宝します。
 SDHCカードは8GBで通常のハイビジョン画質で約2時間録画できます。追加で16GBともう1枚の8GBを用意しましたので、合計約8時間の録画ができます。過去の旅行では10日間ほどの旅でも6時間くらいが最長の録画時間でしたから、これだけあればまず不足することはないと思います。
 さらに、パソコンでの編集はUSBケーブルでカメラとパソコンをつないで、画像をドラッグ&ドロップでコピーすれば簡単にパソコンのハードディスクに移せますので、今までのテープタイプに比べると格段に簡単になりました。
 ビデオ編集は、Power Director 7というのを使い始めましたが、こちらは、編集途中でやたらに異常終了しまくりますので、今後の課題です。

 

 

2008年11月10日月曜日

久しぶりに長唄ネタ

新しい曲のお稽古に入りました。
今回は、古典ではなく「太鼓の曲」(杵屋正邦作曲)という曲です。唄は入りませんが、太鼓との掛け合いがあります。譜と音源を頂きましたが、今までとはかなり趣が異なります。細かいテクニックが必要なようで、どこまで出来るかわかりませんが、当分は楽しめそうです。がんばってみます。

また、来年の新年会を2月の末にやることになりましたが、そのときに先日の発表会でやり損なった(笑)「秋の色種」をやらせていただくことになりました。
新年会には、東京でお稽古を最近始めた方もいらっしゃるということで、共通演目は「松の緑」をやることになったそうです。また、「仁羽」も祭り囃子の太鼓とコラボレーションをやることにもなりました。
会場は私の同級生が女将をしている割烹料理店を予定しており、こうした催しを佐倉のいろいろな場所でやりながら、長唄の響きを佐倉で少しずつ広げていきたいと考えています。

2008年11月9日日曜日

還暦祝い

昨11月8日に、尚楽さんと私の還暦祝いを開催していただきました。
場所は、佐倉に古くからある割烹料理店「玉家」さんで、30人ほどの方が集まっていただきました。

当然のことながら古いおつきあいの方が多く、遠くは土浦からもお越し頂きました。最近では東京の囃子関係の方たちとも交流が増えているため、そちらからも。さらに、長唄の先生にもご出席いただきました。

歓談の合間にはお囃子だけでなく、長唄の演奏も無理をお願いしてやっていただきました。また、古い写真を集めて、これをスクリーンの映して解説し、私たちのお囃子の歴史も振り返ってくれました。
本当に長い間、よく続いたものだと自分ながら感心します。私は、結構新しもの好きで、次々と違うものに手を出しますが、お囃子とパソコンは、よく続いています。それに最近では、長唄も(笑)。

こうした機会を作っていただいた皆様に感謝しながら、今後も人の縁を大切にして行きたいと思っています。でも、これからは、少しスローなペースで行きたいとも思っています。

2008年10月14日火曜日

佐倉の秋祭り

 平成20年は10月10日から12日までの3日間でしたが、最初の日に少し雨に降られましたが、後はおおむね良い天気に恵まれました。
 今年も、上町で子供たち上町武尊囃子連と一緒に祭りに参加しました。
 ちょっとうれしいことに、昨年の11月からお囃子のお稽古を始めた小学2年の孫がお囃子デビューしました。まだ、速いテンポの仁羽にはついて行けませんが、まあまあお兄さんやお姉さんたちについて行ってました。

 ↓上町武尊囃子連の一軍メンバー 















← 宮入前の麻賀多神社大神輿

2008年10月5日日曜日

久しぶりに秋葉原

 実に5ヶ月ぶりの秋葉です。
欲しいものと先立つものがないと、出かけて行っても楽しくないところです。
今回は、久しぶりに欲しいものがありました。
クアッド・コアのCPUです。
ハイビジョンのビデオカメラを購入したのはいいのですが、その編集には大きなCPUパワーが必要です。今のビデオ編集専用マシンのCPUはデュアル・コア E6750 (2.66GHz)ですが、これでもハイビジョン撮影された動画の編集には、速度の点で不満が残ります。
特に、編集作業時に「待たされる」ことが多く、いらいらします。さらに、編集が終わって、ビデオファイルを書き出す(MPEGファイルを作る)ときに、実時間の4~5倍時間がかかります。
今の標準画質のデジタルビデオ編集では、編集時のストレスはほんとんどありませんし、MPEGファイルへの変換も実時間で変換が出来ます(60分ものなら60分で終わる)。

そこで、今のCPUより能力が上のものが欲しくなってくるという次第です。
今回の対象は1つのCPUに4つの演算装置がついたクアッド・コアのIntel Core2 Quad Q9550です。
早速、ある大型パーツショップでタイムサービスを利用して、秋葉最低価格?で購入して、帰宅後、CPUの換装を行いました。

結果は、どこが速くなったの?ほとんど差が感じられません。こんなはずではなかったのに、とほほ、です。

2008年10月3日金曜日

検査の結果

 10月1日に脳シンチレーションの検査結果を聞きに日医北総病院に出かけました。
先生の話によると「右脳の一部に血流の悪いところが見られ、右脳の記憶を司る海馬に血流の多いところ…一種のテンカン症状をしめしているところがある」とのことでした。治療するところは特になく、一応経過観察をするということになるようです。血液の凝固具合を調べる血液検査が出来ていなかったので、この検査をうけ、来月初旬に再度診察を受けることになりました。
 結果としては、今の段階で何か治療をするということにはなりませんでしたが、「年なんだから気をつけろ」という体からの忠告として、少しだけ身を慎みたいと思います。

 厄落としのために、芝山仁王尊にお参りに行きました。護摩は土日しか受け付けていないということなので、参詣だけしてきました。帰りがけに、以前志津にあったボーンアゲインというリサイクルショップに寄りました。(八街市です)
 すると、楽器コーナーに三味線箱(三味線を二竿収納できる)と皮が破れた三味線が何と3800円という値段で売っていました。箱だけでもいいと思い、即決で購入しました。
 たまたま、その日は三味線と唄のお稽古がありましたので、先生に皮の破れた三味線をいつもの三味線屋さんに持って行ってもらうことにしました。三味線屋さんが見て、修理する価値があるものだったら張り替えと小物一式をお願いすることにしました。

2008年9月25日木曜日

次は「白内障」です

 何か病気のオンパレードになってきました。
 昨日は、休暇を頂いて、日医北総病院で「脳シンチレーション」の検査を受けてきました。
 この検査は、静脈にRI(ラジオアイソトープ)を注射して、これが脳の毛細血管にどう流れていくかを撮影する検査のようです。検査そのものは約1時間ほどで終わります。特に、痛みも、MRIのような〝うるささ〟もありません。結果は、来週わかります。

 脳シンチの検査が午前中で終わりましたから、午後からは目の検査に四街道駅ビルの中にある眼科医院に出かけました。というのも、最近右目の〝かすみ〟がひどくなっているように感じていたからです。おそらく加齢による白内障ではないかと見当をつけて、検査をしてもらいました。
 結果は、ピンポーンです。まさしく「白内障」。今すぐに手術が必要なほどではありませんが、今より見づらくなったら手術するしかないようです。白内障の進行を遅らせる点眼薬をもらって、2~3ヶ月に一度検査を受けるようにいわれました。
 この年になると、病気とうまくつきあうことが必要になるようです。めげずに、がんばることにします。

2008年9月22日月曜日

また、また突然ですが「一過性全健忘」という病気

 昨日9月21日は、私たちが長唄をお稽古している「佳櫻会(三味線)」「まりも会(唄)」の合同発表会でした。
 私も、欲張って5番も出番を作っていただいたのですが、会が始まるころから記憶がまばらになってしまいました。
 それでも、合方(靫猿・清掻き・多摩川)、唄(越後獅子)、あたりまでは、まあ、〝普通〟に見えるような形で、演奏したり唄ったりしていたようですが、江戸囃子とのコラボレーション(鞨鼓、四丁目、仁羽)あたりになると、明らかに様子がおかしくなったようです。(実は、ビデオの画像があり、先ほどまでそれをパソコンにとりこんていまして、その再生映像を見てそう思ったのですが) 特に、仁羽あたりになると勘所の押さえが他の人と合わなくなり、決められた回数を終わっても、終わりの合図が出せずに、隣のFさんに合図を出してもらうような状況になっていました。
 控え室では、お囃子仲間のAさんが、私の様子がおかしいのに気がついて、妻を呼びに行き、妻が私に「次は、チンチリレンだけど、できるの?」と尋ねると、さすがに自分でもおかしいと思ったのか「どこから入っていいかわからない。調子も合わせられない。Aさん調子はなんだっけ?」と聞いていたようです。
 それから後も、「プログラムはどこまで進んだ?」「つぎは、俺は何をやるんだ」を、少しの間をおいて延々と聞き続けたようです。さすがに、他の人もおかしいということに気づいて、救急車を呼ぼうということになったそうです。 救急車の中でも、やはり演奏会のことをしきりに聞いてばかりいたようです。
 日医大北総病院について、CT、MRIの検査を受けたようですが(これも全く記憶に残っていません)、特に異常は見あたらず、翌日内科の検診を受けるということになったために、妻が入院をお願いし、入院することになりました。
 夜9時頃になると、だいぶ記憶も戻るようになり、〝会話〟が成立するようになったようです。夜、親友のJご夫妻が駆けつけてくれたことは、勿論おぼえていますよ。
 自分でも、21日の午前11時頃から、記憶が〝まだら〟になり始め、会場についていすを並べたり、めくりを準備したりしたことは憶えているのですが、出演者のMさんに着物と袴を着せてあげたこと、自分も着物と袴を着けたことなどは全く記憶がありません。
 演奏も靫猿・清掻き・多摩川の合方と越後獅子の歌は、これも覚えていません。かろうじて、鞨鼓・四丁目・仁羽の演奏をしていること、左後ろでT君が太鼓をたたいてくれていたことを憶えている程度です。

 一晩寝て起きると、妻との会話もだいぶまともになってきました。妻が言うには、記憶障害が一番ひどいときは、前のブログに書いた「次女の出産」もわからなかったようです。また、2年前に父親が亡くなったことも忘れていたということです。

 今は午後9時ですが、昨日のことをかなり思い出すことが出来ます。でも、演奏のことはどうしても思い出せません。幸い、すべてビデオに記録されているので、つらいですが、それを見て「思い出す」ことにします。
 そして、今回弾くことになっていて出来なかった「秋の色種」に、次回は必ず挑戦することにします。

2008年8月14日木曜日

突然ですが二人目の孫

次女の出産予定日は9月初旬でしたが、8月12日に生まれてしまいました。
あわよくば、私と同じ誕生日と思わぬでもなかったのですが、残念。
生まれてしまえば、それはそれで安心です。18日には退院してくるようで、我が家は母子が泊まる部屋の耐震対策で大わらわです。突っ張り棒をかったり、扉を開かなくするしかけをしたり、もう盆休みはどこかへ行ってしまいました(^_^)
来週からは、当分にぎやかになりそうです。

2008年7月31日木曜日

HDDレコーダーの修理

 久々の投稿です。
 半月ほど前から、東芝のHDDレコーダー(AK-G200)カンタローが、「HDDを認識できません」というエラーがでで、録画、再生が出来なくなっていました。3年ほど前にヨドバシカメラで購入したので、持ち込み修理を依頼しました。ヨドバシカメラから連絡では、「HDDの交換になるので2万5千円ほど修理代がかかる」という返事でした。
 もともと、4万円ちょっとのレコーダーですから、地デジチューナーもついていないのに、今更2万5千円もかけて修理する必要はないと判断して、修理を断りました。それを7月30日の夜に引き取りに行き、Webで「HDDレコーダのHDD換装」というサイトを参考に、HDD換装をやってみることにしました。
 
 本体のカバーを外すと、搭載されているHDDは、Seagate ST3250823ACE (250GB)でした。
手持ちの250GB IDEのHDDは、Hitachi HST722525VLAT80 しかありませんので、これと交換しました。
 (元々ついていたSeagateのHDDは、別のPCでローレベル・フォーマットを試みましたが、出来ませんでした。ハード的に壊れているようです。)

 HDDを交換して、テレビにつないで電源を入れると、「HDDを認識できません」というメッセージが出ます。当初は、ここであきらめてしまったのですが、Webの情報を参考に、このエラーメッセージを無視して、リモコンの「設定」メニューから、「HDDの初期化」を選んで実行すると、ほんの数秒で初期化が完了しました。これで、元と同じ状態で使えるようになりました。

 手持ちのHDDでHDDレコーダーの修理が出来るとは、とっても得した気分です。

2008年6月13日金曜日

上町日本武尊がお江戸参上

 本日6月13日は赤坂日枝山王神社の神幸祭でした。
今年は、日枝神社からのお声がかりで上町の山車人形が130年ぶりにお里帰りすることになったようです。私たちは、そのお供でお囃子のご奉仕をすることになりました。
 囃子方の人数は5人しかいませんので、私の女房まで動員です。(1週間前からお囃子のおさらい特訓を繰り返しました。)


 これが日本橋を出発する前の上町日本武尊の人形です。囃子台は横幅たっぷりで、5人では余裕ありすぎ(笑)。
 午後3時に日本橋を出発して、午後4時に銀座8丁目まで、まさにお江戸の目抜き通りを囃してゆきました。当初の予定では、神幸祭にふさわしく、祭り囃子の「鎌倉」か秘曲をやるつもりでいました。でも、出発の間際になって、上町の役員の方から山王神社のほうから「付け祭り」ですから、にぎやかに「仁羽」もどうぞ、といわれたようでして、最初に囃子を二つほどやって、実際に行列がスタートしてからはずーっと仁羽で通しました。
銀座四丁目で仁羽が高らかに響き渡るのは、最初で最後かもしれません。我が女房は1週間のお囃子特訓が水泡に帰して、がっかりしていたようですが、本当は仁羽で安心したでしょう。
 今日一日は、大変貴重な経験をさせていた頂いた一日でした。
 関係者の皆様、上町の方々、ありがとうございました。
 最後に「日本武尊」とわたしたち夫婦。ちょっと恥ずかしい。

2008年6月9日月曜日

とんでもない出来事

 日曜日の秋葉原で信じられないような出来事が起こりました。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また負傷された方々の一日も早いご回復をお祈りいたします。
 私も、村廻りなどと称して、気楽に買い物をしている、まさにその場所で惨劇は起きました。
いつもでしたら、土曜日が雨模様でしたから、梅雨の晴れ間の日曜日に秋葉散策に出かけていたことでしょう。
 私のいつもの秋葉原周回コースは、秋葉原駅を降りて最初に「ツクモ本店」に寄り、その後、犯人が猛スピードでトラックを走らせた「神田明神通り」の信号のない横断歩道を渡ってから、ドスパラ本店、T-Zoneというところから始まります。今回の事件は、まさにそこから始まりました。犯人が逮捕された路地の入り口には、牛丼の「松屋」があります。帰りがけによく食事をする場所です。
 たまたま、昨日は、秋葉原近くの蔵前「第六天 榊神社」で午前9時から午後8時まで、祭り囃子の奉納のお勤めをしておりました。その御陰で危うく難を逃れたということも出来ます。
 そう言えば、午後1時過ぎから、ヘリコプターの音がいやにうるさく感じられました。榊神社近くの鳥越神社でも祭礼が行われておりましたので、その取材ヘリかと思っておりましたが、実際は秋葉原の事件を取材していたもののようです。
 何も知らずに、午後10時頃に自宅で事件を知り、大変驚きました。
 一日お囃子を奉納させていただいた蔵前の「第六天 榊神社」の御祭神は「日本武尊」、私が佐倉のお祭りでお囃子を担当させて頂いている町内の山車人形は「日本武尊」、そして今週の13日(金曜日)にその「日本武尊」が日枝山王神社の祭礼に参加するという、偶然にしては余りにそろいすぎている偶然、これをどう感じるかは、その人の受け止め方なんでしょうね。 

2008年5月31日土曜日

中学校の同期会

 私は昭和38年度に佐倉中学校を卒業しました。仲間は539人います。まさに「団塊の世代」の真ん中です。
 15年ほど前に学年全体の同期会を開催しましが、今年は還暦の節目の年に当たり、同期会を開催することになりまして、今日は朝から案内用の往復はがきを印刷しています。住所の判明者は417人(11クラスのうち名簿の再調査をしていないクラスが2クラスありますから、返送されてくる葉書が多そうです。)
 さすがにこれだけの枚数になると時間がかかります。午前8時前から始めて、4時間半ほどで終わりました。
 今年は、さらに高校全体の同窓会の幹事も引き受けることになってまして、そちらの準備にも入っていますので、一年を通して同窓会をやっているような感じです。(笑)

 さて、長唄の方は、三味線の「秋の色種」を一応最後まで教わりまして、9月の発表会に向けて練習あるのみ、唄は「越後獅子」がさらい稽古に入ろうかという段階です。

2008年5月3日土曜日

久しぶりの秋葉散策

 昨日(2日)は天気が崩れるというので、今日に日延べして秋葉村散策に出かけましたが、やはり降られてしまいました。
 本日の獲物は、ハードディスク 500GB が2個、マウスが2個、キーボードのジャンク品(富士通製)が2個、友人用の2.5インチハードディスクケースが1個です。
 500GBのハードディスクはメイン機用のシステム、データ用と、そのバックアップのための予備ディスクです。
 マウスは、ビデオ機のものが調子が悪いのと1つは、予備用です。
 キーボードは、以前から使っている富士通製のキーボードがお気に入りで、秋葉の中古屋で見つけると衝動買いしてしまいます。もっとも、1つ100円ですから、動かなくでも文句は言えない品物(ジャンク品)です。今、帰ってきて、チェックしましたら2個とも〝完動〟品でした。ちょっと汚れているので、中性洗剤できれいに掃除するつもりです。チェックのついでに、ジャンクのキーボードでこの投稿を打っています。

 ここ2週間ほどで3台のパソコンが入院してきました。1台は、Windows XPが起動しなくなったもの、2台目はアプリケーションが動かなくなり、Windows 2000の挙動もおかしくなったもの、3台目はWindows XPの新しいマシンのパーティション変更をしたら、システムが動かなくなってしまったものです。いずれも、解決して持ち主の手にお返ししました。
 さらにもう一台は友人用のニューマシンですが、こちらはRealtek HD Audioドライバがインストール出来ないという問題を抱えていましたが、ネットで解決方法を探して、うまくインストールできました。

後々のために、ここに記録しておくことにします。

《Asustek ベアボーン V3-M2A690G のRealtek HD Audio ドライバのインストール方法》

(AsusのマザーボードM2A-VMなどAMD690Gのチップセットを使っているものには共通で当てはまるかも)

1.Winodws XP をクリーンインストールする。

2. マザーボード付属のドライバCDからドライバを手動で1つずつインストールする。
  この段階では、チップセットドライバとLANだけをインストールする。(HDオーディオはインストールしてはダメです。)

3.LANがインストール出来たら、MicrosoftのWindows XPの更新プログラム「KB935448」をダウンロードして、適当なところに保存します。(Google「KB935448」で検索するとすぐ見つかります)

4. マザーボードのドライバCDの中にある
   Drivers¥MSHDQFE¥Win2K_XP¥us¥kb888111xpsp2.exe
 を実行します。

5. 先ほど保存しておいた「KB935448」の修正パッチプログラムを実行します。

6. マザーボードのドライバCDから Realtek HD Audio ドライバをインストールします。

これで、インストールが出来ました。

この手順を踏まないと、Realtek HD Audio ドライバのインストールの途中でエラーが表示されて、インストールが完了しません。結果として、パソコンが音が出なくなります。

2008年4月29日火曜日

パソコンが立て続けに入院

新規に作ったものの、パーティションを変更しようとしたら、動かなくなってしまい、明日入院予定のマシン。
Winodows 2000が起動するも、ソフトか使えないので、往復はがきが印刷できなくなるマシン。
など、ここへきて、入院するパソコンが増えています。

おまけに、友人用に新しく作ろうとしているパソコンには、RealtekのHD Audio ドライバがインストールできません。
4月28日から29日にかけては、ずーっとパソコンの前に座っていました。
いくら好きでも、ちょっと疲れました。
頭を冷やして、RealtekのHD Audio ドライバのインストール方法をネットで探すことにします。

三味線は、パソコンのインストールの合間を縫ってお稽古しています。
「秋の色種」の二上りまで暗譜しました(文化譜で11ページ)。あと、三下り2ページで終わりです。ガンバーロー。

2008年4月20日日曜日

もう1台入院(本日2本目)

 友人から、Widows XPが立ち上がらなくなっているとの相談を受け、家に本体を持ってきてもらって診断することになりました。
 機種は日立 Prius Air AR33N (CPU:Celeron D 345 3.06GHz、HDD Hitachi HD722525DLAT80 250GB、 メモリ:256MB)です。
 本体を分解して、ハードディスクを取り出し、予備の250GBにドライブコピーしました。次に、マイドキュメントをDドライブにコピーして、Cドライブをパソコンに付属のCDで再セットアップしました。
 これで、Windows XPが立ち上がるようになりましたので、Windows Update を100個ほど行って、いくつかのソフトを付属のCDからインストールしました。
 今、iTunesをダウンロードしてインストールしたところ、パソコンの中にあるすべてのWMAファイルを変換にいってしまって、もう30分近く変換作業が続いていて、寝られません。(笑)
 明日の夕方に、友人に引き渡す予定です。

唐丸さんのハードディスク診断

 唐丸さんから、先日導入したハードディスクでバックアップがとれなくなっているので診てほしいとの依頼があり、土曜日に午前中から診断に出かけてきました。
 症状は、コピー元のハードディスクに読み取れない部分があり、このためNorton Ghostでコピーが出来ないというものでした。
 元のHDD (Hitachi HSD721616PLAT80 160GB) のチェックディスクを行って、エラーとファイルの修復を行ってから、別のコピーソフト「コピーコマンダー9」で、Maxtorの250GBのHDDにコピーすると、うまくいきました。こちらのHDDでしばらく運用してもらうことにして、元のHitachi 160GBを家へ持ち帰ってチェックしました。(さらっと書いてますが、4時間ほどかかってます。)
 DFT (Drive Fitness Test)というユーティリティソフトで、ハードディスクを全面的に消去します。
約8時間ほどかかって、終わりましたが、やはり Failure Code : 0x70 と出て、不良セクターが存在します。
 購入した店に、修理を頼むために、唐丸さんに領収書を用意してくれるよう頼みましたが、日曜日になってから、もう一度Erase Diskを行うと、今度はエラーが出ません(今回は2時間ほどで終わりました)。念のためにもう一度、Erase Diskをかけて、エラーが出ないことを確認しました。
 これで、来週にでも、ハードディスクを交換してみましょう。

2008年3月31日月曜日

定年退職一年前

今日は、1年先輩の方たちが数多く定年退職で職場を去りました。
中には、同い年の方たちもいます。詳しい事情は聞いていませんが、
いずれも、止むに止まれぬ事情がおありなのだと思います。
私も、あと一年がんばります。
といっても、長唄とお囃子とパソコンですが(藁)

2008年3月29日土曜日

三味線の修理終わる

三味線屋さんから修理が終わったという電話があり、秋葉村散歩を兼ねて引き取りに行きました。
今日の秋葉村は大変混み合っていました。買い物は頼まれたものが中心でしたので、あまり長くは滞在しませんでした。
根岸の三味線屋さんに寄って、ついでに木撥と糸も買ってきました。

前回のお稽古から「秋の色種(いろくさ)」に入りました。今年の発表会は9月21日の予定ですが、この曲をやることになりそうです。色種の合方には「虫の音の合方」がありますが、これは既にあがっていますので、少しだけ気が楽です。ただ、本調子→二上り→三下りと調子替えがありますので、これが大変そうです。今日の江戸村への行き帰りで1ページ目の暗譜が終わりました。先は長いので、焦らずにゆっくりと憶えるつもりです。

2008年3月20日木曜日

三味線修理

今、普段の練習につかっている三味線を修理に出しています。
私の手にヤスリがついているのか、押さえるところ(「カンどころ」といいます)が減ってしまったので、これを削ってもらうために東京根岸にある三味線屋さんに持って行きました。
三年ほど前に最初に買った三味線は、やはりカン減りが激しくて、自分で直そうと思って塗料を塗ったりなんぞしていたら、収拾がつなかくなってしまうほど竿がでこぼこになってしまいました(笑)。
その後、三味線を二棹も頂戴したので、それを稽古用につかっていました。そのうちの一つを修理に出したというわけです。

残り一つはほんとの初心者用で大変軽く、一の糸がよく響きません。練習していて不満が募ってきたので、使わなくなっていた最初の三味線を自分で直すことにしました。
まず、紙ヤスリの目の粗いもの(60番)で、荒削りをしました。
次に、320番で中仕上をして、最後に500番で磨きました。粉をきれいに拭き取って、敷居滑り用の蠟を塗り込むと、なかなかよさげにできあがりました。
今まで、カン減りのために、ビビッていた音がなくなりました。これで、当分は大丈夫でしょう。
でも、他の三味線を自分で修理をすることはもうしません(笑)。

2008年3月3日月曜日

事故や病気

年度末になって、身の回りが何かと忙しくなっています。
あと1ヶ月で定年を迎えるA先輩が、車でブロック塀に衝突するという自爆事故を起こしてしまいました。
幸い、骨には異状はなく、胸の軽い打撲で済んだようです。
それにしてもA先輩は本当に不死身です。39歳で「くも膜下出血」、51歳で「白血病」、60歳で「自動車事故」です。ふつうなら3度死んでもおかしくない病気とか事故です。
ちなみに、大破した車は、新車で5日目だそうです。
今日本人に会ってきましたが、「胸が痛い」と言いつつも、普段と変わらぬ状態のように見受けられました。でも、「気をつけろと言う神様の忠告だとおもっている」としおらしいことをのたまわっていました。

そのほかにも、同い年の同僚が脳溢血で3ヶ月の療養休暇、1年上の同僚が酒によって、顔中傷だらけになるなど、我ら団塊世代も定年間近にして、いろいろ忙しくなってきました。

私も、行いすまして、せいぜい長唄のお稽古にいそしむことにいたします。

2008年2月26日火曜日

更新をさぼっていたら

2月も終わりになってしまいました。
最近は秋葉詣でも回数がすっかりすくなくなってしまいましたが、先週の土曜日に千葉のドスパラでマザーボードとCPUを調達しました。
 マザーボードはBiostarのTA690G AM2、CPUはAthlon X2 5200+です。
これは、予備機のマザーボードがPentimⅢ 700MHz とAOpen AX3S ProⅡという文化財的な代物ですので、こいつを今風のモデルに変更しようとしたものです。

 2月の25日から、Windows 2000をインストールを始めましたが、ディスプレイドライバをインストールすると画面が真っ黒になってしまい起動しません。
 ネットでいろいろ調べると、なんとこのマザーボードのディスプレイドライバは、Windows XPとVistaにしか対応していません。Windows XPを追加で購入するのも馬鹿らしいので、さらに調べていくと、正規ではないものの、このマザーボードに対応したWindows 2000用のドライバを見つけることが出来ました。
 今日になってやっとディスプレイドライバのインストールが終わり、なんとか使えるめどが立ちました。

2008年1月27日日曜日

タイ国へ

 1月20日から25日までタイへ行ってきました。
 朝9時45分に成田を出発し、バンコクまでは6時間ほど、その後国内線へ乗り換えてチェンマイへは午後7時前に到着しました。結構時間がかかります。

 今回は、タイの4大王朝を訪ねる旅だそうで、北からチェンマイ、スコータイ、アユタヤ、バンコクと4つの町を巡りました。我々の目的は、定年後1、2カ月滞在する場所としてチェンマイはどうかと思っていますので、チェンマイに3泊するツアーに参加したというわけです。

 タイは全体としては農業国で、今でも国民の8割は農民です。特に北部には工業は立地していないようで、ほとんどが田んぼと畑です。12月から4月頃までは乾期で雨がほとんど降りませんが、日中の気温は30度を超えます。北部のチェンマイでは朝夕は10度台まで気温が下がりますので、外出には長袖が必要です。

 チェンマイの滞在は町の中心部に近いホテルで、歩いて5分ほどのところにナイトマーケットがあります。売っているものはほとんど土産物ですが、どの店もあまり商売熱心には見えません。しつこく売り込むという感じがないのです。この辺は韓国とは印象が大変違います。徒歩で10分ほどのところにスーパーマーケットもありました。中には、豆腐とか「納得のカレー」とか日本の製品も結構置いてありまして、日本人が結構住んでいることを伺わせます。
 また、欧米人が多く滞在していることも特徴で、町全体がリゾートという雰囲気です。ただ、町並みは雑然としていますから、気取った雰囲気はありません。

 今回の旅は、食事がすべてセットされていましたので、一般の食堂やレストランには入りませんでしたが、タイでは朝から多くの食堂が開いていますので、長く滞在しても心配はなさそうです。それと、ツアーの料理自体が日本人向けのツアーのせいか、タイ風中華料理が多く、あまり辛い料理にはぶつかりませんでした。
 酒は、ビールが中心でタイ独自の酒というのはなさそうです。ビールをレストランで頼むと、大瓶で140バーツ(約460円)、セブンイレブンでは40バーツ(130円)ほどです。

 交通事情は、鉄道がほとんどありませんから自動車が中心です。走っている自動車の9割、バイクはすべて日本社製品でした。日本人が思い浮かべるタクシーはバンコク市内にしかなく、「トゥクトゥク」という三輪車のタクシーが中心です。もちろんメーターは付いていませんから料金は「交渉制」です。
 私もスーパーで買い物をして、荷物が多くなったのでホテルまで乗ってみようと、通りかかったトゥクトゥクを呼び止め(というか向こうから寄ってきました)、「プラザホテル」というと、中年のおじさんは「50バーツ(165円)」というので、「OK」と交渉成立。乗り心地は決していいとはいえませんが、走り始めると風が心地よく、2キロほどの道のりを堪能(?)しました。途中、おじさんが自分の家の前で突然停車、「1分ほど待ってくれ」というので、OKというと、ニコッとして何やら荷物を下ろして用足しをしていました。この辺はいかにもタイ式です(笑)。

 後の2日は、スコータイという古い町での遺跡観光とアユタヤ、バンコクのお寺や土産物の店に案内されました。
 バンコクは、車があふれており、目的のところまで行く時間が計算できません。日本人が住んでも、ちょっと不経済な町かなと感じました。
 2年後くらいには、チェンマイに1ヶ月くらい滞在できてたらいいなと考えています。

2008年1月14日月曜日

ノートパソコンのハードディスクを交換

 1月13日は、鉄砲洲稲荷神社の寒中水浴祭に上町武尊囃子連の子供たちが参加しました。その模様は唐丸さんの見聞録にお任せするとして、新年会の帰りに秋葉原に寄ってきました。
 目的は、ノートパソコン用のハードディスクとiPOD Calssic 30GB(中古)の調達です。購入したのは日立の2.5インチHDD HTS541612J9AT00 (120GB 5400rpm)です。何と8000円でおつり少しきました。iPOD Calssic 30GBは、付属品は欠品しているものの傷などの少ない良品が手に入りました。

 帰宅して、早速家内用のパソコンIBM ThinkPad R50e のハードディスクを交換です。電池を外して、ちょっと手こずりましたが、本体からハードディスクを取り出しました。データコピー用のパソコンに3.5インチ←→2.5インチ交換用のアダプタを取り付けて、ノートン・ゴーストというソフトを使って丸ごとコピーを行いました。30分ほどでコピーは終わりましたので、早速新しい120GBのHDを装着して、システムを起動します。アレ? 起動しません。BIOS画面の後、ハードディスクを読みにいってません。
IBMのパソコンは、システムが不調になったときに工場出荷と同じ状態に戻すリカバリー情報がHDの一部に書き込まれています。このために、通常起動方法と異なる情報がHDに書き込まれているようです。
ノートン・ゴーストはこの部分をうまくコピーできないようです。

 仕方がないので、別のソフトで挑戦です。今度は、コピーコマンダー9というソフトを使いました。結論から言うと、このソフトでうまくコピーが出来まして、無事HDの取り替えが終わりました。途中経過はいろいろあったのですが、長くなりますので割愛します。iPOD Calssicについては、後日。

2008年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます

 平成20年の初仕事は、成田イオンの獅子舞。私は大黒舞を勤めました。昨年に引き続きの役柄でございます。何か、定番になりそうな予感。
 今までは、笛か鉦をやらせていただいておりましたが、最近における我が会の若手の台頭により、われわれ年寄り組は舞方へという流れは、やはりやむを得ない流れと申せます。
 今年は、唐丸さんのところで、新規市場開拓が出来たという、画期的な年となりました。
 今後、会員一同、心して市場開拓に努める必要があると考えている、今日この頃です。何か、「きっこの日記」みたいになってしまいましたので、もうよします。
 とまれ、今年一年よろしくお願いいたします。