2008年9月22日月曜日

また、また突然ですが「一過性全健忘」という病気

 昨日9月21日は、私たちが長唄をお稽古している「佳櫻会(三味線)」「まりも会(唄)」の合同発表会でした。
 私も、欲張って5番も出番を作っていただいたのですが、会が始まるころから記憶がまばらになってしまいました。
 それでも、合方(靫猿・清掻き・多摩川)、唄(越後獅子)、あたりまでは、まあ、〝普通〟に見えるような形で、演奏したり唄ったりしていたようですが、江戸囃子とのコラボレーション(鞨鼓、四丁目、仁羽)あたりになると、明らかに様子がおかしくなったようです。(実は、ビデオの画像があり、先ほどまでそれをパソコンにとりこんていまして、その再生映像を見てそう思ったのですが) 特に、仁羽あたりになると勘所の押さえが他の人と合わなくなり、決められた回数を終わっても、終わりの合図が出せずに、隣のFさんに合図を出してもらうような状況になっていました。
 控え室では、お囃子仲間のAさんが、私の様子がおかしいのに気がついて、妻を呼びに行き、妻が私に「次は、チンチリレンだけど、できるの?」と尋ねると、さすがに自分でもおかしいと思ったのか「どこから入っていいかわからない。調子も合わせられない。Aさん調子はなんだっけ?」と聞いていたようです。
 それから後も、「プログラムはどこまで進んだ?」「つぎは、俺は何をやるんだ」を、少しの間をおいて延々と聞き続けたようです。さすがに、他の人もおかしいということに気づいて、救急車を呼ぼうということになったそうです。 救急車の中でも、やはり演奏会のことをしきりに聞いてばかりいたようです。
 日医大北総病院について、CT、MRIの検査を受けたようですが(これも全く記憶に残っていません)、特に異常は見あたらず、翌日内科の検診を受けるということになったために、妻が入院をお願いし、入院することになりました。
 夜9時頃になると、だいぶ記憶も戻るようになり、〝会話〟が成立するようになったようです。夜、親友のJご夫妻が駆けつけてくれたことは、勿論おぼえていますよ。
 自分でも、21日の午前11時頃から、記憶が〝まだら〟になり始め、会場についていすを並べたり、めくりを準備したりしたことは憶えているのですが、出演者のMさんに着物と袴を着せてあげたこと、自分も着物と袴を着けたことなどは全く記憶がありません。
 演奏も靫猿・清掻き・多摩川の合方と越後獅子の歌は、これも覚えていません。かろうじて、鞨鼓・四丁目・仁羽の演奏をしていること、左後ろでT君が太鼓をたたいてくれていたことを憶えている程度です。

 一晩寝て起きると、妻との会話もだいぶまともになってきました。妻が言うには、記憶障害が一番ひどいときは、前のブログに書いた「次女の出産」もわからなかったようです。また、2年前に父親が亡くなったことも忘れていたということです。

 今は午後9時ですが、昨日のことをかなり思い出すことが出来ます。でも、演奏のことはどうしても思い出せません。幸い、すべてビデオに記録されているので、つらいですが、それを見て「思い出す」ことにします。
 そして、今回弾くことになっていて出来なかった「秋の色種」に、次回は必ず挑戦することにします。

1 件のコメント:

唐丸 さんのコメント...

お疲れ様でした。
"芸は身体で覚えるもの"ということがよく解りました。